憑依と聴くと、怖い恐ろしいとドロドロした事を連想しがちだが、決して怖いものでは無いのである。何故ならば、私達も霊体が衣を纏って居るに過ぎ無いからである。霊体の種類を述べれば善霊、悪霊、普通霊、動物霊、自然霊、と大別出来るが、上記の中でも細かく分かれて居るのである。人間界に置き換えて考えて見れば、もっと分かり易いであろう。普通の人、心優しき人、迄は誰にでも理解出来るが、悪人の区別は多過ぎて理解が及ばないであろう。肉体があるから欲を欲し、欲が高じるから醜さが現れ、行動が激化するのである。憑依体質とは、霊的感受性が強い人であります。だからと言って怖がる必要は、ありません。
正しく理解し、制御すれば良いだけなのである。
それより何より恐ろしいのは、無理解と侮り、傲慢に成る事である。
例えば他人を落とし入れたり、平気で犯罪を犯す者達に憑依して居るものは、必ず憑依して居る者を破滅に追い込み、断末魔の叫びを糧として居るからである。何故ならば、上記の者達は相対的に自分本位であり、自分に都合の悪い事は信じません。
犯罪者を霊視すると、憑依霊は高笑いし、もっと深い闇に引き込もうと憑依して居る者を焚き付けて居る様子が、ハッキリ視えるからである。反省を嫌い、捕まったのは運が悪かったと解釈させ、悪事を重ねさせる事でも分かるであろう。
皆さんもお解りでしよう、。
例えばイジメの当事者や誹謗中傷を繰り返す者が、公の場で真から反省し謝罪し全ての事を自らが認め、全貌を明らかにしましたか?
殆んどの場合、うやむやな答えしかして居ません。
何故か?
知られたく無い恐怖心から出る隠蔽が、存在するからである。しかしそれでは真の浄化には、繋がらないのである。浄化に繋がらないから、憑依も続きやがて取り返しがつかない事態に追い込まれて行くのである。憑依の恐ろしさの根源は、反省の無い心根にあり。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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