自殺は、如何なる理由が有ろうとしては、行けません!何故ならば、霊的に百害あって一利なしだからである。自殺は、人生の中退。人生の卒業は、辛くとも苦しくとも天寿を全うする事が大前提であり、己が望み決めた道なのである。
私は、綺麗事を並べる氣は無い。
私とて人間、過去には様々な汚点も数知れ無い。
ある頃は衣食住にも事欠き、乞食坊主と言われた時もある。
しかしその時代を耐え抜いた時、真に魂は磨かれ輝きを増すのである。
誰で有ろうとも辛く苦しい事は嫌で有ろうが、耐え忍ぶ事こそ修行である。辛く苦しい時は、泣いても良い。
虚勢を張る必要など、無い。
但し己れを甘やかしては、行けない。
己れを甘やかす事は、害にこそ成り益にはなりません。
私は、辛く苦しい時は、一人きりで誰にも見られ無い墓地の中で、涙が枯れるまで泣きました。
私の中で他人に見せる涙は、未練と考えて居たからであります。
現在は歳を得たせいか涙もろく成りましたが、他の為に流す涙は、心の汗と理解出来る歳になりました。
絶望する前に草原で横になり、何も考えず空を見上げて見ませんか。
悩んで居る自分が、視えて来ます。
悩み苦しみに己れがある時、魂は磨かれるのである。
そこで、自分を放棄する事の虚しさ知るで有ろう。
人生に無駄は無い。
人生は母の胎内に宿った瞬間から、始まっているのである。
親と早くに別れる【愛別離苦】事を味わった人も居る。
しかし、親の存在が無い者は居ない。
自分の人生を悲観しては、行けない。
今が、試練の時なのである。辛さ、悲しさ、苦しさは、全て自分を磨いてくれる試練を乗り越えた先には、新しい希望が待って居るのである。高きを望まず、低きを比べず、自分の人生に誇りを持ち生きる事こそ、最良の人生ではないだろうか。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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