人間は便利を優先した挙句に、忘れてはならない事を忘れがちな生きものである。私の寺の檀家さんである建築会社の社長に、井戸を埋め整地する事をお願いして、次は神具師の知り合いに龍神様の御社を製作して頂く事にした。家人も納得して全ての依頼を承諾され、後は全てが揃うまで井戸神に祈りを込め、竣工の時を待つ事にした。
何故、井戸が障ったのか?当たり前である。
必要な時は重宝し、必要で無くなれば蓋をする。
これでは井戸神で無くとも、怒るてあろう。
私は先ず井戸神【龍神】が鎮座される場所【裏庭】を浄める為に、壇を組んで土砂加持祈祷を謹修した。
そして、御社を設置する土台を専門職人に施工して頂き完成後いよいよ御社を設置、次は御魂を井戸から御社にお移り頂く為の供養法を謹修させて頂き、
鎮座された事を確認し井戸の埋め立てと整地の作業に入った。
代金は其れなりに掛かったが、後日談がある。 店は今迄以上の盛況をみせ、工事に費やしたお金は直ぐに儲けで支払え、今も繁盛して居る。
今では、仕事前には必ず全員で御社にご挨拶をし、毎月の御縁日も欠かさず謹修して居る。
正に神仏とある、生活である。 敬い尊びが、日常と同化した良い見本と言えよう。
良い時は忘れ、悪い時だけ願うは都合の良い事だが、それでは、成就は、夢のまた夢では、無いだろうか。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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