現在、井戸があるお宅は少ないであろうが、過去・昭和三十年代までは、井戸の存在は当たり前であった。
以下は、井戸にまつわる実話である。私の寺に、ある相談依頼が来たので応じる事に成った。
その家では、様々な不幸が続いていた。
まず頻繁に事故が発生していた依頼者の家は、仏壇屋であり仏壇・仏具を納品していたが、前の日に荷造りし納品先で開けてみると
大事な部分が壊れていたり欠損していたり、配達中に事故に遭ったりと意味不明な事が続いて居ると言うのである。

経験のある方も居るであろうが、荷造りする段階で検品をしてから荷造りをし配送するので、欠損や破損が起こるはずは無いのである。増してや自家の商品、考えられ無い事である。私は、相談者の店舗兼自宅に行く事にした。
到着して思った事は、三階建ての綺麗なお店である。
築六年、真新しい建物である。
店はその日が定休日であったので、客はおらずゆっくり視る事が出来た。
全ての部屋と店を観て感じたのは、店の中にある商談用に造られた畳四畳ほどの場所である。
私は、相談者に尋ねた。
この場所に、井戸がありますね。
すると、井戸など無い。
有ったとしても建築段階で埋めて居るので、問題は無いと言う答えであった。
しかしどう視ても私には、井戸があり水が見えるのである。
その場は、私が引き下がる形で終わったが後日、一本の電話で急展開を見る事に成った。
私に言われた事が気になり家族で畳を上げ床板を外した時、家人は驚いた井戸が有ったのである。
それも、水をたたえた生き井戸だったのである。
あろう事か、井戸の上に板を置いただけで床板を貼り、畳を置いただけの粗末な仕事であった。
家人は早速、このビルを建てた会社に電話を掛けたが建築会社は倒産して居て、連絡が取れ無いのであった。
正に、不良会社だったのである。
家人は困り果て、私に救いを求めて来ました。
本来なら断るのであるが、再度依頼を受ける事にした。
生き井戸は、空気を循環させ水は生活の中で上手に使えば良いし、感謝を込めてお祀りすれば家は繁栄するのだが、今回の様な場合はそれも叶いません。
そしてある妙案に、辿り着いたのである。
以下の顛末は、次回でお話し致します。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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