その日私は、依頼を受けある地方に来ていた。迎えの車に乗って依頼者宅に到着し、いつもの様に事情を再度、伺ったのである。その家では、何代も前から長男が授からず授かっても育たずが続いて来たので、娘に婿をとり代々女系家族である云うのである。
今回の依頼は、若夫婦に子供が授かったので安産祈願をして、悲願である男子の誕生祈願である。 しかし私の脳裏には、白い着物を着て悲しく泣く女性の姿が離れ無いのである。
私は祈祷を始める前に、家人に聴いてみた。
上記の方に心あたりは、有りませんか?
無ければ良いのですがと聴いた時、高齢者の方々の顔色が変わりました。
少し間を置いて、先生は何方でそんな話しをお聞きに成ったのですか?
私は、言いました。
聴いたのでは、有りません。
視えたのです。
心あたりが無ければ、それで構いませんと言い切りました。
【訝しげな言い方だったので、返答したまでである】
すると高齢者の方々は、互いに顔を見合わせ、うなずき話してくれました。
それは、江戸〜明治に変わる頃の話しであった。
代々この地方では、大飢饉や災害が発生した時に人柱を立てる風習があったそうである。
【人柱と言っても、柱を建てる訳では無い。人身御供を供える因習】
依頼者の家は代々、大庄屋の家柄であり、人身御供は穢れを知らない若い女性が選ばれたそうである。
可哀想な事をしたものである。
私は、提案した。
供養碑を建て悲しみの中で亡くなった人達の霊供養をしてから、安産祈願、男子誕生祈願を主張し依頼者はこれ承知した。
しかし内心、大変な事を買って出たものである。その後、慰霊祭の準備の為、寺に帰り準備を整える事にした。
寺に戻った私は、各方面に連絡を取り準備に奔走した事は、言うまでも無い。以下、後日談に記す。
南無大日大聖不動明王尊蓮華合掌金剛山赤不動明王院院主 永作優三輝
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