その昔日本人は、歌う事で様々な感情をある時は抑え、ある時は喜びにかえ、ある時は耐え忍ぶ心の拠り所に変えて参りました。その中でも、涙を誘うのが子守唄である。小さな子供が親元を離れ他人の家で働き、親兄弟の為にけなげに働き家計を支えた。
私は、子守唄を聴くと涙を禁じ得ない。
特に五木の子守唄は、胸が痛みます。
拙僧がまだ幼い頃は、日本中が貧しさに喘いでおりました。
以下は、私の体験談である。
小学生の頃、友達の家は家族が八人、長屋の一室で寄り添い暮らしておりました。
父親は、長い戦争生活で身体を壊し、祖父祖母は高齢で一家を支えるのは、身体の弱い母親と兄弟だけでありました。兄弟は、手分けして自分達が出来る事を探し、家族の為に働き家計を支えて居たのです。中でも可愛そうだったのが、妹でした。 僅かなお金を稼ぐ為に子守をして居た姿は、今でも私の脳裏から離れる事はありません。
小さな身体に赤ちゃんを背負い、子守唄を歌って居た。
貧しさとは、時に残酷であり痛ましいものだと子供心に考えました。
今は、そんな風景を観る事は無いでしょうが、心あらば考えて下さい。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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