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密教1209 類は友を呼ぶ

良い事を學ぼうとする者には、同じ魂を宿した者が集まる様に、悪を良しとする者の周りには、魂の低い者が集まるのは自明の理である。
何故か?以前にも書いたが魂年齢の高低差である。
魂の低い者はやたらと他を威嚇し、己を誇示し鼓舞しようとするのが特徴である。
魂年齢は、生まれた家や財力、職業、名誉や地位には比例しない事を覚えておいて貰いたい。
ありがとう・すみませんの言葉を理解し、自然に発する事が出来た時、人は成長し魂も磨かれます。

その逆にやらせて当たり前、やって貰って当たり前の心根の者の魂は、低くさの極みである。
感謝の無い人、誤ちを認められ無い人も同じ部類であると言える。
私がどんなに書こうと理解出来ない者には、馬の耳に念仏で在ろう。
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どんなにその人の為を思っても、聞こうとしない者には教える事は出来ません。

そんな時、私は見捨てるのでは無く、手放します。
手放すとは、自分から離れる事である。
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やがて時が来れば、解るからである。
それを手放さずとどめる事は、執着であり相手にも良い影響を与え無いからである。
但し、その人が反省し理解を求め来る時は、私は拒むものではない。

然し乍ら、生半可な事では変わらないのも人間と云う生き物である。
大我で捉えれば皆、仲間であるが人間の寿命には限りがある。
合わぬ事に生力を注ぐ依り、信じる道に力を注ぐが良策であると私は考える。
人間は帰幽する時、持って帰れるものは経験を感動に変え、霊界で待つ仲間と共有する事が最高の土産なのだから。
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by kongousan-akafudo | 2019-08-30 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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