物事には、表と裏が存在する。例えば、愛の裏返しは無関心の様に、私達人間に永遠の命は存在しない。
では限りあるから、好き勝手に生きるのか?
限りがあるのは肉体であり、魂は輪廻転生を繰り返し、前進後退を重ね魂の浄化を目指して居るのである。そんな事は無い人間は、死んだら終わりと思われる方々は、そのまま進まれるが良いそれも自由である。私は、誰にも押し付けはし無い。信念に基づき、行動するのみである。
その昔、私が師僧から受けた教えにこの世とあの世は、表裏一体、この世で犯した罪を逃げ切れても、あの世では、逃げ切る事は叶わない。
なれば己が罪を認め残った人生を學び、次に繋げる努力をする時、御仏は加護し給う。
人間は弱く脆い。
昨日は、改心しても一夜明ければ忘れる事もあるのも事実である。
しかし、それを繰り返して居る内に年老いて、やがて死を迎えるのも事実である。
分岐点、人生において分岐点は幾重にもある。
何も考えず反省も無しに過ごすのも良し、我欲に身を任せるも良し。
但し、反省も無い人間に理解は無い。
學びの無い者が、真の感動を知る者も無い。
私達は例外無く、期限が切れれば死を迎えます。
その時に一番、怖いのは、霊界を否定して来た生き方である。
否定して来た者は死の現実を受け入れられず、逃げだし彷徨い同じ波長を持つ霊にそそのかされ、浮遊霊に成り下がり。
現界を汚し続ける、悪霊になるのである。
しかしそれも限界があり、ある一定期間が切れた時、反省と云う長い時が待って居るのである。
南無
大日大聖不動明王尊
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