私が生まれたのは昭和二十年代で、終戦間近であり人々の生活も困窮を極めていた時代である。
私の友達の衣服は、穴が空きつぎはぎだらけが普通でありました。学校に行っても、今の様に給食などありません。弁当を持って来るが、当たり前の時代でした。
そんな時、一番悲しかったのが運動会の日である。
私の友達は食べる弁当も無く一人で教室にいた私は、一個の弁当を友達と分け合い談笑して、楽しかった思い出がある。
その友達がある日、別れを告げに来たのである。
明日から遠い所に行くから、今までありがとうと言うのである。
友達は、家計を助ける為に奉公【仕事】に出されたのである。
今では、考えられ無い事であろうが。その時代では、当然が如くされて居たのである。
そして十五年の月日が流れて友達に再会した時、彼も立派な大人と成り互いに再会を喜び合いました。
彼の素晴らしい所は、親を怨んで居ないのである。
その逆に年老いた両親の為に、生活を支え面倒を見て居るのです。
正に、菩薩行である。
時代、時代で様々な事情は、存在します。
しかし、自分勝手に子供や弱い者を虐待する行為は、最早、人間では無い。
餓鬼、亡者である。
武士の考え方で、義を見てせざるは勇無きなり、正に漢の精神である。
抵抗の出来無い者を虐待する者は、人間の心を捨てた魔物である。
南無大日大聖不動明王尊金剛合掌金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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