今迄に様々な事情で亡くなられた方々の御供養をして参りましたが、如何な私でも供養出来無い事があります。
例えば自殺、事件事故で亡くなられた場合、かなりな力を持っての供養が必要ですが、親族の依頼が無ければ出来無いのである。【友人知人の依頼でも大丈夫である】何故依頼が無ければ出来無いのか?
それは、故人が理解出来無いのである。
一人でも多くの人が、故人を想いその想いを届け、説得し供養するのが私の役目である。 今、浮かばれ無い霊が増えて居ます。
そして伝染するが如く繰り返される憑依は、新たな不幸をもたらして居るのも事実である。
何故に浮かばれ無い霊が急増して居るのか、それは理解と納得が希薄だからである。
例えば、子供の霊は浮かばれ易い何故か?
心の素直が要因になってお迎えに応じるからである。
その逆に死んだら全て終わりと考え暮らして来た人は、死を理解する事も納得もしません。
何故か?死んでも意識がある事に、死を信じられ無いのである。
やがて肉体が無い事に気づき、肉体を欲する様に成り、憑依するのである。
そして一度、他人に憑依を経験してしまうとその後は、言うまでもなく憑依を繰り返します。
ここまで来ると供養は、届か無い。
出来るのは、調伏である。
この違いは、例えば犯罪者に対して、説得だけで犯罪をやめさせる事が可能かどうかを考えれば、誰にでもお解り頂けると考えます。
私は、提言します。
これ以上、浮かばれ無い霊を増やさない為に、霊的知識を皆さんにも身に着けて頂きたいのです。
南無大日大聖不動明王尊金剛合掌金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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