当院では毎日、様々な御依頼を受け加持祈祷を謹修して居ります。
一口に祈祷と言っても様々である。
専願護摩、破邪の剣を要しする祈祷、依頼者の希望に添い受け賜って居ります。
過去に修した祈祷の中で心に残る一例をご紹介致します。
自殺者の慰霊
自殺をしようと思う人々の殆どが、死んだら全てが終わると考えておいででしようが、
死は終わりでは無く、肉体の消滅でしか無い事を知らない。
そして、自殺志願者自体が死にたく無いと考えて居るのも事実である。
では何故、自殺を決行したのか?
その殆どが憑依に依るものである。
死にたい、死ねるかなが憑依によって死ねる【確信】に変わってしまうのである。
私は御遺族の依頼を受け、自殺の現場に行き供養を始めた。
供養で済む場合もあるが、殆どが祈祷をしなければならない状態にある。
中には、自殺現場から家に帰りたくてバスの停留所【自殺現場から800メートル】にたどり着くのに、十年掛かった霊も居る。
私は自殺霊を自分に憑依させ、本人が帰りたかった家に連れて行き、其処で最後の祈祷に入る。
まずは死んだ事を理解させ、霊界に帰る様に説得し、本人が納得した場合は、御先祖様に寄り添って頂き霊界へと帰って頂きます。
その逆に聴き分けが無い場合は、下界に降りて貰う事になります。
しかし、いつでも思う事は、残された人の悲しみである。

成仏を願い、依頼に来られる方の殆どが悲しみの渦中にあります。
人間は、只の一人の例外なくいつかは死にます。
人生の死は、卒業である。
そして自殺は中退である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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