一般的によく耳にするのが、考え方が古い、現代には通用しない、グローバル、様々な事が唱えられて居るが、
真を得たものは、無い。
何故か?思い付きの産物に過ぎ無いからである。
経験の裏打ちが無ければ、聴く者の耳には優しいが真には程遠い軽い言語に過ぎない。何故ならば流行り言葉に思想など無いからである。
現在、格言、ことわざを語る者は、少ない。
何故ならば、意味を解釈しなければ真を掴むことが出来無い、難解さがあり。
また、面倒だからであろう。
しかし、その面倒の中に自身の學びがある事も事実である。
言葉を短略し使って行けば、やがて思考も短略化して行くのも当然であろう。
言葉の意味を知り適切に使う時、行動も慎重になる。
その逆に短略的言語を好む場合、思考も短略化されて行くであろう。
誠に言葉とは、言霊である。
【言霊とは、言葉には霊力が宿り、他を救う事も、傷付ける事も出来る力があると言う事である】
氣を付けたいものである。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝