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密教1082 死するとは

人間として生を受け死せぬ者は居ない。

では、何故に死を恐れるのか?

真実を知らないからである。

人間は現界に生まれた時、産声を上げ泣く事から始まる。

では何故、泣くのかそれは恐怖心からである。

【自分は大変な事を決断してしまった、怖くて、怖くて堪らない】そして母に抱かれ母の優しい温もりに安堵した、赤ちゃんは眠りにつくのです。


やがて年月を重ね欲望を覚え自らの中に価値観を形成し、それぞれの人生の歩みを進めて行きます。

幼年期、青年期、中年期、壮年期、老年期を重ねやがて死期を迎える事に成る。

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その時、學び薄く自己の欲望の赴くままに生きた者は、死を恐れ葛藤するであろう。

簡単明瞭に言えば死とは、元の故郷に帰るだけなのである。

しかし現界の欲にまみれた者は、學びを馬鹿にし拒否するであろう。

結果、死の恐怖に身を置く事に成るのである。


霊的學びをした事の無い方でも、霊界を理解して居る人を私は大勢、存じ上げております。

その方々に共通して、感じる事がある。

執着心が無いのである。

正に、達観しあるがままを受け入れる。

損も得も無い境涯である

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人間生まれた時も丸裸、死する時も何一つとして【物品】持ち帰る事は出来無い。

但し、自身が経験し學び得た智慧を感動に転化し、霊界で待つ仲間の土産にする事が出来る。

正に、最高の土産を持って帰郷するのです。

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上記を正しく理解し、今を生きる事は人生、自分を輝かせる最高の學びと私は考えます。


南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝





by kongousan-akafudo | 2019-04-24 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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