長い登り坂を登るが如しである。
焦って駆け上がろうとしても、途中で疲労困憊するであろう。
身体も元気で心も気力も充実して居る時は、感じ無い疲れでもひとたび疲れに負ければ疲弊するのが人間である。
自分が発した覚えが無くても苦労は、やって来る時があるが、それは避けられない人生の試練なのである。

人間にとって一番の誤りは、他人を羨む事である。
ひと【他人】が裕福で有ろうと自分には、関わり無い事である。
そしてもう一つの誤りは、ひとの貧を観て自分は大丈夫と比べるは、誠に情け無い考え方と言わざるを得ない。
貧富の差などで人の優劣を計る事など必要が無い。

何故ならば、人間にとって優劣を計る暇があるならば、自分の心を磨く事である。
人は何故、生まれ何故生きるのか?
それは前生【前世】で學べ無かった事を今生【現世】で學ぶ為に戻って来たからである。
時代、地域、親、環境、性別、全て自分で決めて生まれて来たのである。
それを自分は、金持ちの家に生まれたかった。
自分は、美形に生まれたかった。
何々に生まれたかったは、全て自分を否定する事に繋がり、良い結果には繋がりません。
人間はあるがままの自分なのである。
學び磨く時、何倍にも自分を輝かせる事が出来ます。
歳を重ねれば、美も衰え金の力で美食に走っても、食欲は減退するのである。
私達に必要なのは、智性と理性だと私は考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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