戦時中の日本には、隠れた悲しみが渦巻いていた。
以下は私が伝え聴いた、悲しい話しの一つである。
戦時中、子供達を守る為、集団疎開が実施されました。
親と別れ引率の教師に連れられ子供達の集団生活は、物資の無い時代、過酷を極めました。それでも子供達は健気に耐えて、家に帰れる日を信じ耐え続け、そして終戦を迎えます。
子供達は、優しかった親元に戻れる喜びで、胸はいっぱいです。
親が迎えに来て帰れる子供は幸せでした。
しかし、待てど暮らせど迎えが無い子供達は、実家を目指して帰りました。
そして見た光景は、焼け野原と化した現実である。
戸惑いどうする事も出来無い現実、至る所に死体の山が築かれ荼毘に付されるのを待って居るかの如く、兄弟で集団疎開した子供達も居ました。
兄は妹を守り、妹は兄に従い親類の家を探しましたが、東京は、焼け野原と化し解るはずも無い。子供達は栄養不良と空腹の中で、一人倒れ、二人倒れ、亡くなって行きました。
そんな時代だったと片付けてしまえば簡単だが、魂の叫びは未だ止まない。
私達は今、平和の中にあるが忘れては、行けない。
この平和は、尊い犠牲になられた人達の上に築かれて居る事を。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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