私はこの度、久しぶりに本式の光明真言土砂加持を謹修する事に成りました。

これは土地を浄化する為に行う法であるが、死者に施せばその身は浄化され身は硬直から解かれ,
、生前の柔らかさを取り戻す効験ありと言われる、秘法である。
人間と生まれ愛する人との別れは、誰の身の上にも訪れます【愛別離苦】。

この世しか信じ無いと言う者も、やがて自らの死を持って知るで有ろう。
その時に氣づいても、それはそれ、人間は生きた様に死を迎えるのである。

その逆に今、學びを深める者は幸いである。
死して後には、學びを得る事は困難だからである。
何故か?
生あるから痛み空腹、快楽が実感できるからである。
それは肉体と言う衣があるからである。

肉体無くば、痛みも空腹も快楽も存在し得ないからである。
誠に肉体とは厄介である。
私達が完全に魂を理解し、肉体と魂の真理を知る時、この世は楽園となる。
供養とは供え養うである。
生きる身もまた同じなのです。
他を滅して生き長らえる人間なれば、供養とは無縁では無い事にお気付きになるはずでは無いであろうか。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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