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密教1052 もてなしの心

もてなしとは、一期一会に集約される様に、自分以外の人に心づくしを饗応する事である。
現代社会では、ゴマスリや迎合がもてなしと錯覚して居る人達も少なく無いが、本当のもてなし【接待】は読んで字の如く待ちて接するである。

即ち相手の気待ちに接する事が肝要である。

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難しい事など何も無い。

接する相手の状況を己が身置き変えれば簡単に理解出来よう。

例えば昼なら昼食、遠方から来た方には休息、暑い日なら身体を気遣いいきなり冷たい物を出すよりも、徐々に冷たい物をお出しする。

心遣いである。

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気を使うと言う言葉があるが、氣は使うものでは無く、氣は利かすものである。

昔、千利休がある家に招かれイチゴを出された時、千利休は主人に言った。

あなたには人をもてなす心が無いと言い千利休は立ち去ってしまった。

では何故、千利休は怒ったのか?

それは、イチゴに砂糖がかけられて居たからである。


侘び寂びの世界では、自然を尊ぶ教えがある。イチゴにはイチゴの甘さがある。

それを無視して、砂糖をかけた事に千利休は失望したのである。

砂糖を出す事は、悪いことでは無いが、茶道を嗜む者がそれに氣づかない心をいさめたのである。


同じ砂糖を出すならば、別の小皿に入れてお好みに合わせて下さいませとすれば良かったのである。

当時は砂糖などは、貧乏人の口には出来ぬ高価な物であったから、その家の主人はもてなしの気で出したので有ろう。

もてなしの心は、物を振る舞うも良いが言葉使いや雰囲気を醸し出す事も最高のもてなしと私は考えます。

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南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝






by kongousan-akafudo | 2019-03-23 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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