
これから起こる事を、皆さんに伝える事は容易い事である。
しかし、何故言わないか。
それは依存を産む結果になるからである。

誰しも、これから起こる事を知り得れば対処法を考え、適切に対処出来るであろう。
しかし、其れでは解決に至らないのである。
何故か。
様々な事象や、問題、苦難は己が學びなのである。
様々な事象、苦難を乗り越えてこそ魂は成長し、素直とはを理解する事が可能になるのである。

私も嫌と言うほど辛酸を味わって参りました。
しかし乍ら、その都度お助けを頂きました。
ある時は優しく食を賜わり、ある時は暖かな居住空間を賜わり、正しくこれぞ慈悲を賜わりし時なのである。
人間上を眺めれば限り無し。
下を眺める事無し。
下を眺めて己が幸せを測るは、愚行なり。
人の幸とは、足りる心である。

他と比べる事でしか自らの幸を感じ得る事が出来ない場合には、一考が必要である。
私は、たとえその人が満足しようが不満足でお帰りになろうが、その方の為に成らないと判断した時は語らずお帰り願います。
それが私が信じる道であり、私は決して八方美人ではあってはいけないのである。

全ては學びあるが故に、現界が存在し得るのです。
學び抜きに現界は存在すらないのである。
自分に都合の良い事など無いと知る時、あなたは最高の學びを得る事になるのである。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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