後悔後に立たず!正に私の半生そのものである。
幼い頃より武術に明け暮れ、大会に出場すれば優勝し、十七歳で単身アメリカに武術の指導員として、渡米し正に順風満帆な人生であった。

しかし三年後、帰国して直ぐに両親は他界し辛酸を味わい、その後も各先生方のご尽力を賜わり道場主に成ったが、己れの不徳に依り閉門。

その後、仏門に入り現在に至るが、人間とは人生とは正に學びの連続である。
良ければ學びを忘却し、悪しければ嘆き哀しむ、しかし乍ら全ては、自分から発し自分の中で完結するのである。
誰を怨む事も無い。
全ては身から出た錆である。

それを理解出来ずに他を怨み嘆くは、正に愚の骨頂である。
己れに摂って良い事ばかり望み、苦を忌み嫌っても、因果は廻る回り灯籠、根絶する事は出来無いのである。
なれば、學びと捉え因縁解脱に邁進するが得策である。

密教には様々な法がある。
しかし乍ら唱えるだけでは、完結するものでは無い事を知った上で取り組む必要がある。
安易な方法は所詮、絵に描いた餅同然である。
人は、生まれ乍らにして現界に學びを求めて来た旅人なのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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