幼い子供を虐待するのは、鬼畜の行為である。
其処には、愛のカケラも存在しない。
虐待を犯した者が、決まって言う事が躾だった。
私は、自身の耳を疑った。
躾とは、読んで字の如く身が美しいと書く。

何故、躾が火傷を負わせたり死に至る虐待が躾なのか?

逃げ口実に使ったとしても、あまりにも馬鹿げた言い訳である。
自身の躾が成って居ない者が、他を教育的躾など到底出来るものでは無い。
例えば、イジメや誹謗中傷をして来た者が、他に優しくと説いたとしたら、あなたは真面目に捉えますか。
躾と称して虐待をして居る者に、子供を育てる資格など無い。
子供を育てる事が出来るのは、親であり大人である。
本来なら最高の信頼を置いて居る親から、理不尽な虐待をされ傷つき、殺された子供達の気持ちを思うと、胸が締め付けられる思いである。
私が出来る事は、地蔵菩薩に祈りを捧げ犠牲になった子供達の魂が、救われる様に精一杯の祈りを込める事である。


虐待を犯した者達は未、来永劫許される事は無い。
やがてその者達が死を迎える時、解るで有ろう自分が犯した罪がどれほど重い事だったのか、犯した罪はこの世では懲役で償えた様に見えるが、そんなに甘いものでは無い事を知った時、震え上がるのである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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