今から45年前、私は在家【一般家庭】から出家しました。
初めて得度を許されたのは、法華経の行者【御上人】金田道跡師僧である。
私は師僧の下で、大乗仏教の基礎を學ばせて頂きました。

誠に有り難い限りです。
しかし、私の中に存在する密教への憧れに似た探求心を拭う事が出来ませんでした。
そし、て意を決して師僧に御願いを申し上げました。
以下はその時の様子である。
先生、自分は密教を學びたいのです。
お許し下さい。

師僧は、そんな私に優しく言って下さいました。
汝が行こうとして居る道は険しく、辛い道ぞ。
寺に残り、末長く學んではどうだ。
と、そう諭して下さいました。
師僧は私の境涯を知って、跡継ぎにとお考えだったのです。
私は師僧の想いを裏切り、密教の道へと突き進みました。

しかし、帰る寺もない若造の私に見向いてくれるほど、甘い世界では無かった。
その事を、私は後に嫌と言うほど想い知りました。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありの諺に曰く、ある師僧のおかげで密教の伝法を受けて現在に至ります。
現在は、単立寺院として布教に汗を流す毎日である。

普通なら、単立寺院は成り立ち難い分野でありますが、御本尊様の御慈悲で続ける事が出来ております。
今後も住職として恥無い様に、文武両道を忘れず精進して参る所存です。

何故、坊主が文武両道を旨とするか?
天部、明王部の御仏が様々な武具を携えているかを考えれば、誰にでも解る簡単な原理原則である。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝
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