それは、ある依頼から始まりました。
話を伺うと、数年前に亡くなった息子さんの供養をして欲しいと云う。
法要の日、支度を整え依頼者の家に伺いました。
仏間に通され、供養を始め様とした時、私は妙な違和感を覚えました。
依頼者に尋ねました。
『失礼を承知でお尋ねします。
本日の供養者は、尋常な亡くなり方では有りませんな?』
何故ならば、死んだ時のままの姿でうなだれて居る姿が視えるのである。

それだけではなく、死を理解していないのである。
家人に憑依を繰り返し、憑依をされた人は体調を崩して困って居たのである。

依頼者は薄々、解っていたようである。
だから、菩提寺がありながら私の噂を耳にして依頼して来られたのである。
実は、亡くなられた息子さんは暴走族に入り、暴走中に道路の分離帯の防護壁に激突して死んだのである。

彼は、未だ自身が死んだ事を理解していないのである。
痛い苦しい、めくるめく感情の中で苦しんでいるのである。
私は依頼者と相談し、彼に死んだ事を理解させる為のある秘法を謹修する事を決断しました。
【模倣を避ける為詳細は割愛します】
新たに支度を整える為、私は寺に戻り、準備に掛かりました。
後日、準備万端の状態で慰霊に臨みました。
修法も終盤になったとき、彼がどうしても聴いて欲しい事があると言うので、私は自身の身体に憑依させて彼に心ゆくまで語らせました。
参列者、全員が涙に暮れました。
彼は、納得して親族の靈と共に靈界に帰幽して行きました。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 永作優三輝
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