此処で理解し難い方々の為に、解り易く説明します。
例えば生きていた【生前】時に傲慢な人が死後優しく変わりますか?
または、無神論者が死後、信仰に目覚めるであろうか?
増してや生前に、死んだら終わりと考えていた人が、死後も意識がある事をどう解釈するであろうか?
間違い無く戸惑い、彷徨い光を拒絶します。
ある人は、死んだら墓に入ると思い込んでいるので、一生懸命に墓石の中に入ろうとするが入れず…
墓石の前で呆然として居る光景を私は、よく見る事があります。
やがて、諦め生前に暮らして居た環境に戻ろうとしますが、其処には最早、自分の肉体は荼毘に付され有りません。
家族や友達に話し掛けても誰にも分からない。
そして諦め彷徨い、他の浮遊靈にそそのかされ、取り返しのつかない次元へと堕ちて行くのである。
その最も良くない事例が、自殺である。
自殺しようとする人の殆どが、靈界など全く信じ様としない人達です。
何故か?
少しでも、靈的知識があれば自殺などするはずが、無いのである。
それは、自殺をすれば生きる依り辛い事が待っているからである。
人生は學び【自分で決めた學生生活】自分で決めた生活を自分勝手に辞める事は、人生の中退を意味する。
他にも様々な原因で浮遊靈になる人が居る。
事故死である。
それも、暴走行為の果てに死んだ人は、かなりの確率で浮遊靈と成ります。
そして、満たされ無かった想いを憑依する事で、満たそうとする事で靈障が起こるのです。
次回は、実例を挙げてお話しよう。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝