憑依されると云う事は、自身を失う事に繋がります。
自己を失い、憑依霊の意思のままに行動する。
正に自己喪失であるが、これは本人の常日頃からの
言動、行動が招いた結果でもある。
イジメ、誹謗中傷、暴力的な思想が招いた結果でもある。
【心の綺麗な人に憑依出来る悪靈は居ない】
心の浄化は、誰にでも可能である。
それは、[ありがとう][すみません]の心を前面に押し出して、
日々、感謝の念を忘れ無い事である。
人間は感謝の念を忘れ、己が満足と【欲】に溺れる時、
心は荒み、傲慢さが支配する事で未浄化靈と同調した時、
憑依を招くのである。
言わば当然の結果と言えよう。
その逆に、感謝、敬い、尊ぶ心を持つ者に憑依する事は、
出来無い事は自明の理である。
そして上記を護る者は、必然的に福を招く事に繋がり、
最初は小さな福が、続ける事に依り増大して行くのである。
また福が欲しいは、間違えである!
福とは結果であり、求めて得られるものでは無い。
正に蒔かぬ種は生えぬであり、実践を積み重ね
心の成長と共に福を実感する事が出来るのである。
小さなしあわせを喜べ無い者に、大きなしあわせは訪れません。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝