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密教961 階段

振り返れば私の半生は、階段を登っては転げ落ち、また登り、転げ落ちるの繰り返しでした。

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苦しみ・悲しみ・怒り・慟哭する。何度も投げ出したい衝動に駆られ生きて参りました。

人間は、弱いもの。

頭で分かった振りをしても心は正直なもの、失った悲しみと虚無感は拭えません。


上記に身を任せれば、憐憫の情に流され正気を失いかける己れに喝を入れ立ち上がり。

また階段を登って行くの繰り返し。

そんな私に岐路が訪れたのは、心靈學との出会いである。


私は、寝食を忘れ没頭した。

そして現在、氣づいた事は灯台下暗しであった事である。

心靈學を學びふと振り返ると、私は同じ事を履修していた事に氣づいたのです。


それは、私の側に何時もあったのである。

私は、再度読み返し確信した。

そして自分の理解力の無さを恥じた。


心靈學と経典は、同じ船上にあったのです。

(原稿の補足、私は、大義の意で地球を一艘の船と捉え、線上を船上と表現してます。)

経典の示す教えは、正に心靈學そのものであり、読むから理解に進む時全ては解ります。


説話でも精神論でも無い、真実だったのです!

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では何故、説話・精神論と解釈されて来たのか?

それは、靈的な観点を排除して読んで来たからである。


人間は、元来弱いもの眼に見え触れる事が出来るものを信じ、理解出来ぬものを排除する癖がある。

その結果、現在の物質的価値観に陥ったと言えよう。


物質的価値観は肉欲を増長し、精神世界には至り難い。

その証拠に悪事は、全て物質的価値観の影響が大である。

疑問に思う方は、俯瞰してお考え下さい。


南無大日大聖不動明王尊

金剛合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝






by kongousan-akafudo | 2018-12-20 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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