
美術、表現である事は私も心得ているのですが、私が所用で出かけた時の光景には、我が眼を疑いました。
それは、ある店の玄関前に、如何にも芸術であるが如く並べられた供養塔【昔の貧しい人達が作った墓石】だったのである。
その昔、貧しい人達は、今の様な立派な墓石を建てる事が難しく、その替わりに小さな墓石を作って故人を供養しました。
本来墓石は、弔い上げが済んだ後は合葬墓となり、不要な墓石は破砕してさざれ石として活用されました。
何故、破砕しさざれ石にするのか。
想いを断ち、お役に立てるという為である。
あの小さな墓石が、何故あの場所にあるのか私は知らないが、墓石から漂う氣は哀しげであった。
上記の事は、自由であるが、心情的には理解し難い。
その時代でも、裕福な家では立派な墓石を建立し、今でも立派に受け継がれて居ります。
墓地や寺院の敷地なら、それも自然と受け留められるが、オブジェは如何なもので在ろう。
今から数十年前に、あるコレクターが古い石仏を自宅の庭に並べて楽しんで居た。
しかし、その後、業病を患い、苦しみの中で果てられたのである。

例えば、あなたの死後、墓石がオブジェにされたらあなたは嬉しいですか。
それよりも、破砕してさざれ石に姿を変え、世のため人の為に成る事を望むのではないでしょうか。
何をしても自由であるが、心の節度も必要ではないでしょうか?
心希薄なものに、感動無し。
慈しみ無きものに、真実無し。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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