
少年老い易く学成り難し。
向学心に遅い早いの境は無い。
現代に生きる私達と昔の人と違うところは、普通に読み書きが出来る事である。
私の父母は、幼い頃から家の為【貧しさ】親元を離れ、一人で八歳の頃から働きに出てお金を稼ぎ、送金する事が当たり前の幼少期であったと聴く。
従って、学校も途中で辞め【奉公】仕事先で暮らしていた為、読み書きは不自由であった。
私達は、幸いに読み書きは当たり前に出来る。
その気になれば、どんな學問でも學ぶ事が出来るのである。
必要なのは、やる気と持続である。
また後で、は放棄したのと同じで、忘却するであろう。

學びとは、自身向上を図る唯一の自己選択手段である。
題材にある【少年老い易く学成り難し】を簡単に言えば、若い内はまだ時間がある。
明日からでも大丈夫と考えて中々真剣に學びを進め難いが、時間は容赦無く過ぎ、氣付けば時間は遥かに経過し、老いて居たと言う事である。
學とは、理性と智慧である。
理性無きは、獣物と何ら変わりは無い。
人間には理性と智慧がある。
しかし、本当の理性と智慧は、學ぶ事に依り開花するのです。
自身に向き合い學ぶ時、自ずと開かれるのが學びの効用である。
難しいから、分からないから、は學びを放棄するのと同じであり、難しいから、分からないから學ぶのである。
始めから達観して居る者は無い。
學びから発し、会得し得た時、達観から悟りへと導かれるのです。

私達は、働き【労働】の対価がお金に変わり、日々の生活を営んで居る。
時間の有無は、己が努力に依りもたらすもの。
愚痴にまみれて怠惰な時を過ごし、氣付けば老齢に嘆く前に、學ぶ事を考え率先しては如何でしょうか。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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