
昨今の子殺しは、何故起きるのか?
殺すまでに至って居なくても、生涯残る傷を負わせる行為は、殺人と同じである。
自分が同じめにあった時、その者は、耐えられ無いであろう。
では、何故行うのか?
情のカケラも無い鬼畜だからである。
そんな者に限り、欲だけは人一倍旺盛である。正に餓鬼以下である。
情とは心であり、情を學ばずに、身体だけ成長して者が巷に溢れる時、日本は破滅に向かうであろう事は誰にでも理解できる。
学校の成績が良かろうと悪かろうと、人間の情には比例しない。
もしも、情を喪失した者が権力を得たら?
情を喪失した者が、病院や介護施設に勤務して居たら?
己が成績しか興味の無い者が警察官であったら?
上記の事柄を考えて下さい。
あなたなら、お判りになるはずである。

情とは、勝手に芽生えるものではない。
躾、苦労、學びの中から見い出す心の學問である。
イジメを経験した者はイジメを嫌い、誹謗中傷を経験した者は、誹謗中傷する者を許さない固い決意を持つ。
そして、上記の事柄に苦しむ人あらば、智慧と勇気を持って助けるのが情である。
自分は被害に遭いたくない。
見て見ぬふりは、同じ穴の狢同然である。
私は様々な事例を経験し、共に闘って来ました。
ある時は正面に立ち、ある時は寄り添い、悪質な者は当院の調査網を駆使して証拠を集め、警察に刑事告訴もして参りました。

情は、他を助け、我が身を助ける學びである。
今その渦中にあるあなた、絶望は愚か者の結論である。
私の寺は、駆け込み寺でもあるのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝