
人は何故、一つ事に打ち込めるのか。ただひたすらに努力し、極め様とする姿には、感動を覚えます。
それがスポーツであれ、勉強であれ、打ち込む姿勢は何処から生まれるのか?
強制されて行う事と、自発的に行う事では、先に行ってから、かなりの違いが出るのは当然の理である。
學びも同じである。
何故やるのかではなく、答えはシンプルである。
好きだからである。

諺に曰く、好きこそ物の上手なれ。
好きだから、にそれ以上の答えはないと私は考えます。
私が若い頃、武術で身を立てようと発願し、無我夢中だった頃、楽しかった。
神社の境内をお借りして、稽古に励んでいた頃は、夢に向かってただひたすらに打ち込んで居りました。
その私も齢六十五。
若い頃の様な動きは出来ませんが、未だ思い出しては、稽古の真似事などをして居ります。
近くのグランドで高校生が陸上の練習をして居る姿は、正に活気に溢れ、ほとばしるほどのオーラを発し、若さの尊さを感じる毎日であります。
どんな事でも、結果は後から現れるもの。

結果ばかりを望み、疾る時、そこには美しさを感じる事はない。
ただひたすらに、努力と楽しさが融和した時、結果は付いて参ります。
始まりは、好きだから、で良いのです。
そして、箸を持つ様に、自然に扱えるようになった時、あなたは極める事を完全に理解した瞬間です。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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