
昨今は、墓捨てが流行の様である。
私は以前から言って居ますが、先祖の無い人は存在しません。
人間は雑草ではない。
祖先を敬い尊ぶ事は美徳であり、今の自分の証です。
墓は面会所、仏壇や厨子は礼拝所である。
それを捨てる事は、自分を捨てる事に繋がります。
子孫に繋げ、子々孫々に伝えるのが家長であり、役目なのである。
息子が娘が墓参りの習慣がない。
それも良いでしよう。
但し人間は、生まれたら必ず死する事を忘れては居ないでしょうか?

只の骨と考えれば、カルシウムの残骸である。
しかし、元は人間。
如何なもので在ろう。
私は、散骨も良くないと考えます。
散骨する位なら、焼却場で全てを焼き尽くし、完全な粉にして捨てれば良い。
さすれば、何の未練もない。
しかしそれは、全ての縁を自分から断つ覚悟が必要である。
自分は、会った事の無い先祖と考えて居るから墓捨てが出来るのである。
そして、無縁墓が急増して居るのも事実である。

墓に貼紙をされて撤去され、捨てられた墓は、本来は破砕されてさざれ石になる。
そして人の役に立って役目を終えるのだが、積み上げ、さざれ石にもなれない墓石は日本中に存在して居る。
考えて下さい。
あなたの愛した人の墓を、あなたは捨てられますか。
私には出来ません。
せめて、故人の生きた証を残して回向するのが、現界に生きる私達の責務ではないでしょうか。
今一度深く考え、靈とは、生きるとは、を考える分岐点に立って居るのではないでしょうか。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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