私は僧侶。
様々な御供養もさせて頂きました。
その中で、惜しい、勿体ないと思うのが自殺に依る死である。
その人には死にたいと思う気持ちが強かったのでしょうが、私には視えて来るものが沢山あります。
その時は死にたいほど苦しいでしょうが、耐え抜いた後にはしあわせが待って居たのである。
やがて帰幽した時に真実を知る事になるのです。
そして、後悔と云う苦しみをも背負うのであります。
どんなに苦しくとも生き抜く時、魂は成長して逞しくなります。
その真実を教えてくれるのが心靈學である故、浅野和三郎先生が残して下さった。
心靈學は、真に學びを求める者への聖書となるであろう。
霊感、霊能が有っても、學びを深めなければ私感が入り乱れ、正しい鑑定が難しくなる場合があります。
しかし、心靈學を熟知して居れば、迷うことはない。
より的確な判断に繋がるのである。
私が存じ上げて居る本物の方々は、心靈學を熟知しておられる方ばかりである。
この様に素晴らしい學問であるにも関わらず、日本で余り知られて居ない事は残念である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝