
先日、当院に御供養の依頼があり御受け致しました。
今迄お願いして居た僧侶が、12時の約束なのに4時半に来たというのです。
その日は、故人の為に親戚友人が多数集まり、法要を待って居りました。
施主が参列者に謝罪してお帰り頂いた後に、僧侶が到着。
謝罪するでも無く、平然として読経を始め様としたのでお帰り頂いたとの事である。
施主曰く、これでは故人が浮かばれないのでお願いしたい。との依頼です。
私は精魂込めて行うと心に決め、現在準備中である。

過去には、上記の依頼とは異なる、悲しい依頼を御受けした事があります。
詳細は割愛しますが、是非、大人の方々に読んで考えて貰いたい。
依頼者はお子さんを自殺で失い、途方に暮れて居られました。
他の寺に葬儀をお願いしようとしたが、高額な料金を告げられ、途方に暮れて居た時に他の方の勧めで当院に来られました。
私は事情を知り、話し合って御受け致しました。
初七日の法要も終わり、親御さんも落ち着かれてぽつりぽつりとお話しされました。
『私がもっとあの子と話す時間を持っていれば…』
と、そう言って泣き崩れて居られました。
ひとしきり泣かれ、落ち着いた頃合いを見てお話させて頂きました。

悔恨の情は解ります。
しかし、これ以上は故人の後ろ髪を引く事に繋がります。
後は御供養に専念して、冥福を祈りましょう。
と説得しました。
しかし実のところ、自殺した大部分の霊体は、自分がしでかし事の重大さにどうしたら良いか分からず、狼狽えて居るのである。
時間をかけて説得するしか無いのが本当のところである。
しかし子供を亡くした遺族に、幾ら真実であってもまだ初七日。
言ったところで、悲しみを倍加させるだけである。

私は四十九日までに霊体を説得し、幽現界に送らねばなりません。
そして、その時に親御さんに説明します。
以上のように、現実は波乱に満ちて居るのである。
子供を護る為にも、子供と会話をし、変化に気づいて下さい。
自殺する者は、どこかで救いの信号を送って居ます。

だから、身元が直ぐに解る様にしてから自殺を決行するのである。
誰にも知られたくないのなら、身元の解るような物は所持して居ません。
死に場所も、誰にも発見出来ない場所を選びます。
しかし現実は、発見しやすい場所を選びます。
会話は、人間の意思伝達の最高の方法である。
わかり合い、信頼し合うときには必ず和合が生まれます。
大切な命。
掛け替えのない存在。
話し合いましょう。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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