
善と悪、光と陰、謙虚と傲慢。
理性ある者は、常に考え俯瞰して捉える事が出来るが、本能で行動する者は道を誤るで在ろう。
では、どうしたら理性が身に着くのか?
學びである。
學ばずして、理性を身に着ける事は難しい。
學びとは、様々な経験も必要だが、先人の智慧を率先して自己に投影させ、第一に反省から始まらねばならない。
何故、反省から始まるか?
それは、謙虚に受け入れて理解せねば、反省は机上の空論に過ぎないからである。
深く反省する事は、俯瞰する為の要素に繋がり、やがて自己の行動理念をも制御するのである。
自己中心的な思想を破棄し、協調性を身に着けた者は普遍である。

人間は何故争うのか?
それは、欲による自己喪失と考えます。
欲が高じれば、人は魂を否定して欲の渦に飲み込まれ、全てを水泡に帰すであろう。
幸い、私達は様々な解脱法を心得ている。
學びは、正に梯子である。
一歩上がれば、一歩上昇し、登る事を拒否すれば欲界を彷徨い、やがて自らが後悔するのである。
現界【この世】は永遠ではない事を知り、學びに身を置く時に理解としあわせは訪れます。
それを率先して受け入れるも、己が欲望のままに生きるも自由であり、全ては自己責任である。
但し、本当の自己責任とは、巷で言われて居る様な甘い現実ではない事を、私は付け加えます。

それは、死後誰もが経験出来ます。
信じる信じないも自由であり、究極の自己責任なのである。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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