
本当の供養は、心から湧き出る供え養う心である。
自分の親をないがしろにして、どんな御仏に成就を願っても、叶えられるものではありません。
昨今は、親兄弟の仲が希薄になっていると言いますが、親がいなければ自分は居ないのである。
ご先祖様を否定する事は、自分を否定する事に繋がり、本当のしあわせを得ることはないであろう。
また、本当の親なれば、我が子を愛おしく思うが親である。
間違っても、我が子を殺めることなど出来無いはずです。

昨今の事件を見ると、私は悲しくなります。
親が平然と子供を殺し、子が親を殺し隠す。
在ろうことか、殺した親の体をバラバラにして捨てるなど、鬼畜そのものである!
また、我が子を愛欲の邪魔と考え、折檻の果てに死に至らしめた馬鹿者も鬼畜である!
そんな者に、慈悲は不必要と考えます。
人間に智慧と理性がなければ、ただの獣に成り下がるであろう。
本当の慈愛とは、涙眼を捨てて真眼で真実を捉える眼である。
私は、非業の死と遂げた方々の冥福を祈って居ります。
今、本当の意味で考えなくてはいけない時期なのである。
他人事と、対岸の火事ではないのです。
供養心の欠如は、最後は我が身に返って来る事を知った時は手遅れである。

私はこの事を、言葉を変えて、幾度も書いて参りました。
供養は、最後に我が身に返って来る事を。
今一度考えてみてください。
供養に難しい事は、何一つありません。
心があれば、自ずと答えを見い出す事が出来ます。
秋彼岸も間近です。
今一度、自身でお考えになっては如何でしょうか。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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