
この題材に、古代より取り組んで来たのが密教である。
昔から、人は死を恐れ、死を不浄なものと捉えて来ました。
私は、若い頃に両親と死別し、成年期には妻子三人と死別しました。
長い闇黒の年月の中、考え、模索し、苦しみ、答えを探し続けました。
そして、ある古本屋で一冊の書物に巡り会った【浅野和三郎著、心霊學】
私の人生は、この本との出会いによってその後の人生が大きく変わったのである。
その日から、世界の心霊學書を、あたかも渇いた大地が水を吸うように一心不乱に學んだ。
そしてお導きをも得たのである。
お導きは自然に訪れました。
著名な専門家との様々な出会いに始まり、多くの先生方に教えを頂きました。
それ以前の私は、仏教的観点から思考し、輪廻転生も、その観点からしか捉える事が出来ませんでした。
しかし、心霊學を學んだ後は、仏教、密教、心霊學の観点から観る事を得たのである。
これは、私にとって一大変革でした。
輪廻転生を深く俯瞰する事で、愛別離苦をも克服し、迷う事が無くなり、新しい道をも得たのである。

人間が死んでめでたく霊界に帰郷を果たした後、霊界でしばらく修行します。
そして、自身で課題を決めて、また現界に転生して来るのです。
それは、カルマを完全に消化するまで続きます。
そして生まれた時点で、前世の記憶を思い出す事はない【特殊な例を除き】
生家、親、年代、人生の課題は、全て自身が選択するのである。
従って、こんな家は嫌だ、親も嫌だ、時代も嫌だは可笑しな話しである。
言わば、自身で決めた事を嫌だと駄々をこねている事になる。
なれば腹を据えて、生きるが正しいと言えよう。
最終的に持って帰れるのは、経験した事に感謝して感動に昇華させ、帰幽する事が最終段階なのだから。

生きるとは、肉体を得た學び。
だから、自分勝手に終わらせる事は人生の中退を意味します。
それでも、無理矢理に中退を選択した場合は、先の人生で履修して居ない事に加え、苦しみは想像を絶するものになります。
學びを通して、皆さんがしあわせに成られる事を願い、今日もご祈念申し上げます。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝
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