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密教863 素人、玄人

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俗に言うアマチュア【素人】とプロフェッショナル【玄人】

此処で一言。

自国語で意味を解釈出来ずは恥である。
自国語で正しい国語力を理解して居れば、古文解読も容易い。

昨今の日本はカタカナ語【外国では通用しない言葉】に毒され、漢字の意味すらわからない者が増えて居る。
従って、自国の文化も歴史も忘れ去られ、金に群がる餓鬼を増やして居ると言えよう。

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玄人とは、積年の研鑽から生まれ、死ぬまで修行を積み続ける者を云う、と私は心得て居る。
玄人の領域では、生活は成り立ちません。
何故ならば、天職だからである。

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利を考え、利を得ようとするなれば、商法に移行するが賢い生き方である。
玄人に固執するなれば、餓死も止む無しの信念が必要である。
そこには、経済の入り込む隙も無い。
有るのは、草を食んでもやり抜く覚悟しか存在しない。

若い頃ぼろぼろの法衣を纏い、托鉢に命を繋がれ、諸先生方の教えを頂いて感涙した頃。
素人でも玄人でも無い、己れがありました。
ただひたすらに學び、ただひたすらに歩いた。

ようやく一人前と認められ、普通と言われる暮らしを始めた頃に幸福感を味わいました。
しばらくして、愛別離苦を身をもって知る時代に突入した。


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そこで氣づいた事は、己れは真に學びを深めて居ない事であった。
それから10年。
一から學び直して得た答えが、何故生きる。生きるとは。である。

そして60の坂を下る歳を得た今、言える事はあるがままである。
あるがままとは、怠惰に生きるに非ず。
智性を養い、理性を磨く時に得られる境涯である。

平敦盛が詠んだ「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は有名な一節である。
様々な解釈があるが、真意は御本人に聞くしかあるまい。


人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
読み方:じんかんごじゅうねんげてんのうちをくらぶればゆめまぼろしのごとくなり
別表記:人間五十年下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり

人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚いものだ、といった意味のことば。
幸若舞「敦盛」の一節。

「敦盛」におけるこの「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」という詞は、しみじみと世を儚む詞として登場する。

現代における「人間(にんげん)の人生は50年」や「せいぜい50歳で尽きる人生は儚い」といった解釈は、元の意味からは離れた通俗的な理解といえる。また、織田信長を関連づけてこの句が引かれることは多いが、織田信長の発言というわけではない。

実用日本語表現辞典より引用

ただ、私なりの解釈で言えば、ぼや~っとして居る間にも歳をとる、と云う事である。
だらだら生きるも一生、込めて生きるも一生である。

その選択をするのは自分でしかない。
だから、あるがままなのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝





by kongousan-akafudo | 2018-08-31 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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