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物質的価値観に関する密教ブログ④

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■寄り添い 寄り添う

今、必要なのは、正心を持って物事にあたる事が求められております。
正心あらば、全ての問題に光明が差し、おのずと解決に向かいます。

その逆に、邪心あらば隠し逃げようとするのである。
この様なコンセプトで、実際にはこの様になったと。
何故、責任ある立場の人間が言えないか?
それは、探られては困る邪心が存在するからに他ならない。

恥ずかしい事である。
正に厚顔無恥。

そんな大人が、子供に教育のイロハを解けるだろうか?
恥ずかしい事である。
夫婦、家族でも同じです。
自分の主張ばかり尊重しようとするは、正に物質的価値観の弊害である。


妻の立場。
夫の立場。
子供の立場。

それぞれが正心を學び、実行する時、其処には、寄り添い寄り添う輪が生じます。

人間関係で苦しみ疲れても、それは修行であり、魂の研磨なのです。
全ての人が、寄り添い寄り添う事は無いでしよう。

それは、当たり前なのです。

私達人間は、まだ未完成なのだから。
未完成を完成に導くのが修行であり、學びなのです。

人生は、學びの場。
社会は、ジャングル。
家庭は寄り添い、寄り添う學びの場。

では、一人の方の學びとは?
独立独歩、道を定め、一心不乱に進む時、必ずや御仏の御加護があります。
御仏に寄り添い、寄り添う心が出来た時、貴女はかけがえの無い宝を得る事に成ります。

■親と子の関係

親は子を育て、子は親に學びを与える。
親子は、共に學び合う同志である。
霊的に言えば、子供が親を選び、生まれて来ます。
《親とは、究極のボランティア》

人生は、學びの為にある事を知る時、貴女の人生は開花します。
物質的価値観から脱却する時、貴女は本当のしあわせを引き寄せることになります。

本当の幸福は、物質では得られません。
物質は得られても、刹那の喜びに過ぎない。
また、直ぐ次の物質に移行し、求め続けている。

そんな欲を持ち続けると、人は人の尊厳を忘却し、餓鬼道に迷い混み、嘘や堕落の下界に堕ち、本当の人生に素晴らしさを失い、死しても欲界に迷い、地獄の餓鬼に成り下がるのである。

今現在、様々な問題があちらこちらで取り沙汰されております。
しかし、真実を語る者は少ない。

真実なら、書類を黒塗りにする必要は無い。
嘘と混濁は、全て物質的価値観による堕落である。
真実にはばかる必要は、無い。

心に真理を持つ者は、幸いである。
心に偽を持つ者は、哀れである。

■危機感の無い生き方

人間には、様々な可能性があります。
しかし、それも見ぬ間に年老いては勿体無いと思いませんか?


ただ毎日を過ごした人間と、目標を立て生きた人間とは、必ず差が生じます。
現界には、歳だけを重ねた人間には、情がありません。

何故か?
物質に生き、考え方も物質的価値観の固まりに人間が堕ちる時、情は失われます。

物質的な思想の持ち主に、真の愛は訪れません。
従って、物質的価値観が助長され、いざ自分が死を迎える時、のたうち回る結果になるのです。

執着の無い生き方は、人間を成長させます。
物質的価値観に生きる者は、常に価値観を全面に打ち出し、争い奪い合い、分かち合う喜びを感じることがありません。

死後も奪い合い、無意味な争いの渦中に自らを投入する事になるのです

■良い人仮面とナルシスト

今、日本中に氾濫しているのが、私は良い人を装い、他人を落とし入れようとする《良い人仮面》
会社では部下を持つ身でありながら、悪い結果は部下の責任。
良い結果は、自分の手がらにする。
このような、ナルシストが増えている。

この現象は、何処から発生するのか?
またどうして、そんな人間が上に成るのか?
全ては、物質至上主義が高じて価値観の変化に依り、蔓延した伝染思想《物質的価値観》が魂を穢した。

服装は、文明人。
心は、野蛮人。を形成したのである。

例えば、自分だけでは死なない、無差別に道づれにすると言う考え方は、最早、人間とは言い難い。
現在、普通の人がある日突然凶暴化する現象が、昨今立て続けに起きている事は周知の事実である。

では、どうすれば良いか?
波長を上げる事である。
類は、友を呼ぶ例えもある様に、低い波長に身を置けば、低いものが引き寄せられるのも道理である。

正しい學びを深め、自身を俯瞰し、進む時、必ずや御仏の慈悲に照らされ、知る事が出来るのです。

■貧富

貧を知らずんば富を知らず。
貧しさを真に學ぶ時、富の本質を知る事が出来ます。

富を得る事だけに走れば、物質的価値観に翻弄され、本来の人間としての學びを失い
常に枯渇した心に自らが苛まれ、人間としての尊厳をも失うであろう。

富む者は、貧しき者を救い勤勉に勤める。
此の理想が実現化する時、犯罪も妬みも無い世界が具現化します。

しかしながら、現実化されないのも人の世であります。
富を持つ者は依り多くの富を求め、貧に喘ぐ者は富を妬み富む者は貧する者を蔑むのが現状である。

しかし、人間には一つ平等が存在します。

それは、死である。
どんな富豪であれ、貧する者であれ、必ず死を迎えます。
死から逃れることは、何人たりとも出来ません。

そして、死する時、何一つ持って行く事も出来ません。
お金も家も、形ある物は、現界に残していくしかない。
泣いても笑っても、其処には貧富の差も存在しません。

但し素晴らしいものを土産にする事は出来ます。
感動です。
様々な経験を積んで来たあなただから出来るのです。

経験を感動にに変換する時、最高の土産に成るのです。
何処への土産か?
霊界で待つ仲間への土産であります。
あなたが現界に旅立つ時、涙で見送ってくれた仲間が次は優しく拍手で迎えてくれるのです。

全ての真理を知る時、貧富の差など無かった事を知るであろう。

■パワースポット

よく聞く言葉。

〇〇のパワースポットに行ったが何も感じなかった。
〇〇のパワースポットは、変な感じだった。
〇〇のパワースポットは、凄かった。
この言葉を総合すると、全てがあやふやな表現であることに氣づくはずである。

また、パワースポットと呼ばれる所は、それなりの作用はありますが、あやふやな場合はまだ良いです。
しかし、はっきりと感じ取れる場合は要注意です。

あちらの機嫌の良い時なら良いが、機嫌が悪い場合もある事を、誰も知ろうとしない。
そのような現状では、あまりパワースポットなどと言ってはしゃぐものではありません。
当たり前の事ですが、作用があれば反作用もある事を忘れてはいけません。
全てが、自分の都合の良い様にはいかない現実を知るべきである。

私は、よく皆に注意する事があります。

神社仏閣では、たとえ石一つでも持って帰ってはいけない、と。
パワースポットも同じです。
中には、記念に名前などを書いたり傷付けたりする者がいるが、その時は何も無くても、覚悟しておく事である。

それだけでは終わらない事を、以前ブログにも書きました。

聖域を穢した者が、どんな末路を辿るか?
本人が体験した時は、手遅れになることがほとんどです。
私達は、本来、皆、霊的存在である事を自覚する時、全ての謎が謎では無い事を知るであろう。

肉の思考は、所詮、物質的価値観に堕ち入り、真実を見失うのである。
心の眼を開け、自身が知る時、本当のしあわせを実感するのである。

慈愛は、心の眼。
欲は、肉の眼である。

■増大するカルマ《因縁》

犯罪を犯し逮捕、服役し、その後釈放された者には、民事に依る損害賠償が課せられるが、保証人である親も賠償金を払わないケースがほとんどである。
これは、恐ろしいカルマを積む事になる。《反省の無い犯罪者の末路は、哀れである》

この世の罪はこの世で反省し、償う方が、何倍も何十倍も楽なのです。
反省せずに逃げ切れたと思う者は、大馬鹿者である。

実例を挙げて紹介したいが、あまりにも生々しく酷いので、書くことは控えます。
言える事は、自身が犯した罪に数十倍の苦しみと苦痛を味わう事になるからです。

そして、加担した親も仲間も、同じカルマを背負う事になるのである。
人間界の考え方では、理不尽と思うかも知れません。
しかし、霊的真理から検証すれば、当然と言えるのです。

私の車には、ドライブレコーダーを搭載してあります。
先日、仕事で運転中、信号待ちをして進行方向の信号が青になった時、心の声が《行くな》と叫んだ。《見通しの悪い交叉点で》

私が一拍待った時、赤信号で交叉点に進入した車と青信号で進行した車が衝突した。
明らかに、赤信号で交叉点に進入した車が悪いのは当たり前である。

しかし、赤信号で進入した車の運転手は、嘘を言うのが昨今では多いのです。

当たり前が、当たり前に通らない時代。
常識が、常識で認知されない世間。

あなたは、どうしますか?
嘘つきの横行する時代。

カルマを積み重ねる者達が増大している事実を、直視する勇気を持って物事に当たらなくては、何時自分が、被害者になるか解らない時代なのです。

子供のカバンに、ボイスレコーダーを忍ばせるくらいの用心が必要な時代なのです。
教師も教育委員会も、自己保身に走り、本質など見て見ぬ振りである。

愛する者を守るのは、あなたしかいないのです。
悲劇が繰り返される前に、防ぐ事も愛なのです。

言った、言わない。
やった、やらない。
あやふやな状況は、嘘つきを繁殖させます。
悲しい時代ですが、それが物質的価値観を選んだ私達全員のカルマでもあるのです。

■何故、混迷するのか?

日本が何故、混迷するのか?
全ては、欧米式物質的価値観に由来するのである。

価値、価値に追われ、心を失い、物質的価値観こそ真理と錯覚して来た我々に、最大の問題があるのである。
心を軽視し、物質に生きた時代はありました。

しかし今、餓死する人は皆無と言える日本に於いて必要なのは、古き良き時代の思想であると、私は考えます。
然るに、今の状況は救い難いものがある。

全てが価値で始まり、全てが価値で判断される世の中を、あなたは正常な状態と考えますか?

正常と考える時、あなたは私とは違う世界の住人である。
中国では、懐妊すると、遺伝子検査をする人が多くいます。
それは、障害を持つ子供を産みたくないから、殺すのである。
この根底にあるのが、物質的価値観である。

正常でないものは、不良品であると云う考え方の表れである。

では何故、魂が宿るか?
考えて下さい。
それも救い、學びなのです。

我々が學びを拒否し、忘れ去る時、人類は亡びます。



by kongousan-akafudo | 2020-01-04 12:00 | └私たちの暮らし
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