■式神 私達、密教僧の中には、式神を操れる者も存在するのも事実であります。 密教僧の中でも少数だが、長い年月を掛けて、式神を練り上げる修行をして居る者がいる。 拙僧もその一人であります。 式神も様々で、密教僧に依って異なり、同じ式神は無いのです。 しかし、それには大変な修行が必要なのも確かで御座います。 拙僧は、永年、赤不動明王尊に仕えて会得する事が出来ましたが、横道にそれる者も少なく無いのです。 何故、横道左道に行ってしまったのか? それは、金、物質的価値観の魔力であります。 護摩にも、黒護摩が存在します。 正しい式神を練り上げるには、あらゆる誘惑に耐え、信仰心を持ち続け無くては叶いません。 黒護摩も白護摩も、本来呪術。 曲がった法を修すれば黒に成り、正しい法を修すれば白に成る。 当たり前の事なのです。 私は、想います。 正しい法を修し、しあわせを理解し、神仏を敬う時、本当のしあわせを悟るのではと。 拙僧は、今しあわせで御座います。 御本尊様と静かに送れる毎日が。願わくば、一人でも多くの方々がしあわせである事を願っております。 ■明日を生きる 明日の事は誰にも解りませんが、日本人は古来より明日を目指し、日々努力を怠らない民族だったので御座います。 そのような精神を持つ日本人だったからこそ、敗戦の悲惨な状況を乗り越え、世界に冠たる今の時代を築き上げたのです。 今、あの時、あの状況を忘れて、目先の欲に翻弄され、物質的価値観に毒された時、私達にあの状況を乗り越える事が出来るかは疑問であります。 私は、想います。 考え方は自由です。 しかし、本当の意味での自由とは、誰も観て居なくても自分を律し、他を愛し、生きる事だと。 このままでは、大変な時代が来ます。 それは、正しくは自分達が呼び寄せて居るのであります。 聖人君子に生きる事は、凡人には不可能であります。 私も凡人でありますが、心は覚者とならんと考え、精進潔斎を実践します。 人は愚かな存在ではありません。 一人でも多くの方が、真理とは何か?に目覚め、自己の人生を実りあるものに変えて頂きたいと願うばかりです。 来年は試練の時を迎えますが、自己を律し、自己の脚で立つ時、必ずお計らいが御座います。 私達の本当の姿は、霊界の仲間から選ばれし代表選手なのです。 霊界の仲間からエールが毎日届きます。 現界は競技場であり、私達は選ばれし代表選手なのです。 恥ずかしく無い競技をしようじゃありませんか。 勝負、正に勝ち負け。 しかし負けても良いじゃないですか。 負ける事が無ければ、勝ちは存在し無いのです。 大切なのは、其処に至るプロセスです。 インチキ、搾取、騙し採った勝利は勝利ではありません。 真の勝利とは、正々堂々と行い、勝者は敗者をいたわり、敗者は明日の勝者を目指し努力する事であるのです。人生も同じなのです。 自分に言い訳をしては、いけません。 受け止め、受け入れ、自己改革を出来るのは人間だけなのだから。 ■霊界 本当の意味での霊界を知っている者は少ない。 本を読んでも、講演を聴いても、本当の事を知っている者は少ない。 何故か? 何処で物質的価値観が現れ、話しがズレるのです。 では、私達が何故、現界に生まれて来たかを考えて下さい。 遊びに来た訳ではありません。 肉体を持つ事でしか味わえ無い事を経験しに来た、霊界の代表選手なのです。 肉体を持つ事で出来る事は、体感する事であります。 肉体が無いのに、体感は出来ません。 では、体感とは何か? 痛み、快感、飢餓、その他、肉体が無ければ出来無い事を學ぶ為に、現界に来たのです。 言わば、霊界の仲間から選ばれた代表選手なのです。 霊界には、大霊を筆頭に、高級霊が指導する階層を始めとする様々な階層が存在しております。 人間界で云う天国は、高級霊がおわす階層なのです。 そして地獄とは、妬み、誹謗中傷を、繰り返し行なって来た人間が、死後も同じ事を繰り返し行なって居る階層なのであります。 言わば自分で蒔いた種であり、類は友を呼ぶ、そんな霊達の階層が地獄です。 霊界があるか?無いか?の議論をしても何の意味も無い。 死ねば分かるのです。 しかし、死んでからでは遅いのです。 後悔するだけで、意味がない。 また、チャンスを活かすも殺すも自由なのです。 但し、後悔、先に立たず。 學ば無ければ、學は成就ならず。 ■倫理観の欠除 今、中国人に次いで、日本人の倫理観も危機にある。 料金を払って安全に廃棄処理した食品が、スーパーや弁当屋の食材になり販売されていた。 何を信じて良いのか? 倫理観は、年齢に比例しません。 金に成れば何でも良い! 正に餓鬼である。 食べられない物を、偽り売る。 正に鬼畜である。 清貧に生きるは、死語のようである。 清貧とは、気高く生きる事であるのです。 恥を知る。 正に、日本人の美徳でした。 分からなければ良い。 分かるはずが無い。 正に、恥を知れ。で、ある。 物質的価値観に基づく思想は、上記のような非常識者を生むのであるのです。 日本人の美徳である、恥を知る思想は、日本人の文化であります。 アメリカかぶれの物質的価値観を持ち続ける時、日本人は日本人に非ず。 美徳を忘れ、現を見る時、日本人は滅びるでしょう。 ■開運の嘘 開運とは、お金持ちに成る事では、御座いません。 開運とは、様々な學びを繰り返し、最後に、経験を感動に転換できる人生を送る事を出来る様にする事なのです。 お金は、人間界を円滑に送る為の道具であり、道具に振り回される人生など、開運では無いのです。 今、現界では開運流行りですが、これは正に、アメリカ流の物質的価値観の末期的症状としか捉えられ無いのです。 開運の意味を履き違えれば詐欺にあい、大事にしてきたお金を奪い取られてから、詐欺に気づく事に成るのです。 お金を稼ぐ事は良い事です。 沢山稼いで、美しく使う事が、お金を活かす事に繋がります。 お金は道具であり、全てではありません。 他に迷惑を掛けず、他を喜びに満たして得たお金は活きたお金です。 もう、お金に振り回され、間違った開運を望む事から卒業しましょう。 私達が現界の學びを終えて霊界に帰る時《帰幽》する時、持って行けるものは、沢山の経験から得た感動と言うお土産なのです。 感動と言うお土産は、私達を送り出してくれた霊界の仲間が、最高に喜ぶお土産なのです。 経験を重ね、より多くの感動を味わいましょう。 感動こそ最高の宝物なのです。 ■開眼供養 地蔵尊を祀る御堂の前に、昨晩は様々な参拝客が訪れました。 正にすがる様に、龍神池の動物達が参拝に来たのです。 狸、イタチ、イズナを始め、様々な参拝客が訪れてくれました。 池の主である龍神尊は、御本尊赤不動明王尊の眷属。 動物達の願いは唯一つ、平和な営みを望んでいるだけなので御座います。 私に出来る事は、池の様々な生き物達が、無事に生き伸びてくれる様に祈ること。 人間の身勝手は、止まる所を知りません。 様々な生き物達の命を踏みにじり、開発の名の下に物質的価値観に身を委ね、心を蝕んで行くのです。 池の地主と私は面識が御座いません。 また、あったとしても、聴く耳を持た無い事は分かって居ます。 しかし、池を埋め立てた後に起こり来る事に怯え、人づてに聞いて私の寺に来る事は分かって居ます。 が、今は何を言っても理解する心が無い事をも、私は分かって居ます。 人間は、過ちを認めるには時間がかかるのであります。 また、過ちを認めても、犯した事は変わりません。 私は、祈ります。 池に生息する全ての生き物が、無事に避難出来る事を祈ります。 ■悪意の結末 悪意《悪想念》は、必ず自分に返って来ます。 正に、愚の骨頂であります。悪意を向ける暇があるのであれば、私なら自分の修行に励みます。 悪意を抱く者の共通点は、唯の一つであるのです。 物質的価値観に翻弄された者が行く、末路です。 物質的価値観とは、心の幼児性から生じる欲張り病の様なものであります。 真面目に働き、真面目に學ぶ時、必ず天は貴方に味方致します。 その逆に、欲を貪り怠惰に生きる時、魔を呼び寄せ、魔の世界に引き込まれ、破滅の路に身を晒すことに成るのです。 人間に生まれて、他人のしあわせを妬んで生きる姿は、最早、人間ではありません。 他を羨ましく思う前に、精一杯の努力を積み重ねる時、其処には達成感と満足感が残るのであるのです。 ■悩み解消 私の元には連日、様々な悩み苦しみを抱えた人が訪れていらっしゃいます。 世の中が複雑に成れば成るほど、悩みは増大しているのです。 そんな相手に会わない様にするには、自分の人間力を上げて行くしか方法が無いのです。 人間力が高ければ、必然的に人間力の低い者を寄せ付けず、また、人間力の低い者も近寄り難く成るのです。 普賢菩薩法《仮称》が、最も適して居ると考えます。 この方法は、一日僅かな修法を繰り返すことで自然に身に着く有り難い修行法ですが、一般には知られて居りません。 その他、私の知る限りの修行法でも、一般の人に教えて差し上げたい修法が御座います。 しかし、悪用を避ける為には、一定期間私の元での學びが必要です。 昨今は、生体エネルギーを霊的エネルギーと勘違いして居る人々を見かけます。 身体を壊さねば良いが、と危惧して居ります。 彼方此方で、影響が出て居る様であります。 他にも、様々に間違った方法が横行して居ります。 呉々もご用心下さい。 また、見分けるのも人間力にあるのです。
by kongousan-akafudo
| 2020-01-01 12:00
| └私たちの暮らし
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