![]() ■お計らいを逃す人 拙僧の元には、多くの方々が様々な悩みを抱え、相談と加持祈祷の依頼にお出でに成ります。 しかし、どんな祈祷をしても無駄な例を挙げて置きます。 拙僧の自論ですが、効かない祈祷は気休めにしかならない。 では、本題に入ります。 ある御婦人が悩みを抱え、寺社を訪れ、悩みを打ち明け、僧侶、神官は、適切な祈祷法を選択し、祈祷に入りました。 お計らいの力が働き、成就。 その後、御婦人は事ある度に祈祷を依頼、そして成就。 だんだんと傲慢に成り、想う結果が出ないと心の中で、 想う様な結果が出ないのは弱い神仏に、頼ったからだ と思い、大社、大寺院に依頼をする様になってしまった。 最後は妖しい宗教にのめり込み、全てを失って自殺してしまった。 一見、宗教が悪い様に思われますが、真相は、傲慢と怠惰が招いた結果である。 感謝が無い、お計らいを理解出来ない未熟さ故の結果である。 例えば、あなたが御本尊様にお願い事をした時、御本尊様は、あなたの人生で学びに成る事に対して眷属を動かし、様々なお計らいの力を発揮して下さいます。 それは、御本尊様そのものなのです。 あなたが塾生に成ったのも、あなたの守護霊様のお計らいです。 言い返れば、私達は護られて居るのです。 守護霊様や諸尊の御加護にそれを自覚出来て居ないだけなのです。 これからは学びを一層深め、自分に御役目が降りて来る事を願い乍ら待ちましょう。 そして、準備をしましょう。 相応しい自分に成る為に。 全てに早道は、ありません。 あるとすれば、それは日々の暮らしの中に有る課題を探し出して学ぶ事なのです。 ■私の天職と適職 私の天職は密教僧ですが、適職も持っております。 適職はあくまで生活の糧であり、それ以上でも無ければそれ以下でも無い、 但しどんな適職であろうと、疎かにした事は無い。 以前、仕事上のコンクールがあり、冷やかしで出場させられた大会で優勝してしまった。 私は、仕事場では、必要以上の事は喋らない。 工場の片隅で、黙々と与えられた仕事をこなすだけの変な爺である。 若い者に馬鹿にされても、黙っている。 そして、コンクールの日がやって来た。 ゼッケンを付け、いざ競技開始。 終わった時、私は優勝していた。 私の会社の人間は、全員呆気に取られていた。 馬鹿げた事である。 笑い者にしようとした爺に、全員が敗退。 誠に愚かな事である。 私が適職を続けるには、訳がある。 密教僧としても食べては行けるが、最大の訳は依存である。 私を頼り、遠方より祈祷を受けに来る方々に、過分な負担を掛けたく無いのです。 私は祈祷料の請求をし無い。 依頼者の気持ちに任せて居るが、それで良いのだ。 私は、適職で食べて行ける。 天職を穢す必要は無い。 ところが、一度来た方々は必ず長い付き合いに成って居る。 私の弟子も、元は参拝者の一人だったのです。 こんな、爺を頼り託してくれた加持祈祷。 私は、全身全霊を掛けて祈祷する毎日です。 皆さんも、仕事をお持ちだと思いますが、適職はあくまでも生活の糧。 命を削る仕事は、お辞めなさい。 不幸の種にしか成りません。 適職は、あくまで適職。 命を削るほどの価値などありません。 適職は、家族を養い、自分も生きる糧と心得えておやりなさい。 命を削る仕事は、自殺です。 貴女は、自殺する為にこの世に生まれたのではありません。 ■末路 私は、祈祷僧…依頼があれば、何処へでも行きます。 その日は、信徒さんからの紹介で、ある企業の不浄祓いと、火伏の祈祷を頼まれていた。 行ってみると大きなビルに、工場と敷地…立派な会社である。 その様な会社が、何故、私に祈祷を依頼して来たのか? その会社には専門の寺が付いていたおり、様々な怪異現象が発生する度、専門寺が祈祷に来ていた。 が、怪異現象は収まるどころか、火事騒ぎまで起きる始末…。 そして私の元に依頼が入り、行って視ると怒りの念が渦巻いていたのです。 ひとまず依頼された事案に対して、祈祷を開始して驚いた‼️ 怒りの念が湧いてくる源は、会社の中。 生きている人間の怒りの念は、死者よりよほど怖いのです。 時により、人間の念は人を死に追いやる場合があります! そして、執拗に何度でも繰り返し襲って来ます。 今回の場合は、念の発信場所も特定出来ているので大丈夫だと思ったが、思わぬところに落とし穴があった…。 経営者である。 経営者の社長室に招かれ、社長と談笑していたときは、温厚な良い人だなぁ~と、思ったが間違えだった…。 私が帰った後、不満分子を探り始めたのである。 不満分子を探る様な事をせず、不満解消を考え実行すれば、会社には新たな息吹が起こる。 と助言したにも関わらず… 犯人探しをした影響で不満は増幅し、最後は、詐欺師に会社ごと乗っ取られ、経営者の社長は、入水自殺をした。 と、後年聞いた時は人の念の怖さを改めて知ったのでした。 ■自殺 昨日、帰宅途中に電車が緊急停止した。 車内アナウンスでは、人身事故発生だという。 代替え輸送の案内に導かれ、バス、電車を乗り継いで自宅になるべく近い駅を教えて戴いた。 下車後1時間、徒歩にてやっと帰宅。 私は、歩きながら犠牲者の事に思いを馳せた。 僧侶である私は、過去に電車飛び込み自殺をされた方の葬儀の導師を勤めた事があります。 その時の話しです。 ご主人が亡くなられ、奥様と幼い子供達が残された葬儀は、愚僧の提案により骨葬にて執り行ないました。子供達には、遺体に成った父親との対面は控えたが、その訳は御察し下さい。 愚僧は遺体引き取り時に同席。 ご主人の遺体に引導作法を施し、遺族と火葬場に同行した。 荼毘に付した遺骨を奥様が抱き、親戚の方々に付き添われて自宅に到着。 子供達と涙の対面と成った。 読経中もすすり泣く声が絶えず哀れを誘った。 初七日の法要に行った愚僧は、其処に見たものは電車会社の人達であった。 愚僧の姿を見て話しは中断したが、察しはつく。 費用負担の話しである。 昨日の電車人身事故では、代替え輸送の費用は私一人でも600円位は掛かっていました。 距離に寄っては、もっと費用が発生したと思いますが、電車会社が費用負担するとは考え難い? 私には費用の事はわからないが、この時の遺族の心境を考えると、察して余りある所があります。 初七日の法要が進む中、部屋の隅でうずくまる男性。 自分のしでかした事の重大さに、今気付いた様である。 そう、行くところにも行け無いのです。 然りとて元に戻れる筈も有りません。 死んだら全てが終わると思い、咄嗟に衝動的にした行為でも必ず後悔します! 愚僧は苦慮しましたが、今この場で浄化するよりも、奥様、子供達がご主人の自殺によりどれだけ苦しみ、傷つき、悲しみ、現実に喘ぐ姿を見て、ご主人が反省された時に、改めて浄霊に来ようと心に決め、初七日の法要を終えました。 四十九日の法要は頼まれて居ませんが、あくまで愚僧の好意である事を、前日に奥様の実家にご連絡させていただきました。 浄霊により、ご主人の亡き祖父にお迎えをしていただき、ご主人の御霊は、界に帰られました。了解を得て参上させて頂くと、奥様、御親族の方々が出迎えて下さり、しめやかに法要を執り行ないました。 一言。「今より浄霊供養をさせていただきます。」 帰る時は、自分の過ちを認めて反省し、修行を約束されて霊界に帰られました。 人の感じ方、苦しみの度合いがある事も解ります。しかし自分の命を自分で断つ行為は、人生の卒業では有りません。 中退です。 人生に無駄は、有りません。 耐えられ無い苦しみを神仏は、与えません。 自殺する勇気があるなら、何もせず寝て苦しみが去るのを待つのも勇気ではないでしょうか? ■ラップ、騒霊現象 私は、今迄に数えきれないほどのラップ音を聴いて来ました。 その中でも悲しくせつないラップ音の話しです。 そのご夫婦は、息子さんと三人暮らしの平和な家庭でした。 ご夫婦は、正に、オシドリ夫婦。 何処に行くにも手をつなぎ、労わり合う優しいご夫婦でした。 其れが在る事件を境にバラバラになって行ったのです。 息子さんは、幼い頃から優しく利発でした。 その息子さんが魔性の者に魅入られて性格も一変。 ご夫婦は、何とか自分達の力であの優しかった息子さんを取り戻そうとしました。 が、結果は、惨敗❗️ 愚僧に相談していてくれたら、悲惨な出来事を回避する事が出来たと思うと慚愧に耐えません。 何故、ご夫婦が相談に来なかったか? 後にご主人から伺いましたが、こんな事で相談に行ったら恥ずかしいと思う気持ちが強かった。 結果、最悪の事態に成り、自分も死のうと思い歩いていると、寺の前に立っていた。 後は、号泣…。 魔性の者は人間界に入り込み、人間の負の感情を最高の糧とし、歓喜します❗️ 普段は、男女問わず化身し、在る時は美女美男、その他、注目を集めそうな者に憑依します。 最後にはその者をも破滅させ、糧として歓喜乱舞します❗️ 見分け方は、簡単明瞭です。 善を嫌い、悪を尊び、悲しみの涙を飲用し、悲痛な叫びに歓喜する。 今迄の事件で、上記に当てはまる事がここ数年頻繁に発生していますね⁉︎ 息子さんは自殺、奥さんも後追い、ご主人は幸い元気でおられますが、今は俗世を離れ出家されました。 何故、魔性の者が出てくるか❓ 其れは、現代人が無機質に成りつつ在るからかも知れません。 魔性の者が大手を振って跳梁跋扈する様な日本にはしたく無いですね。 精進潔斎 ■宿命と寿命 宿命と寿命は基本的には、変えられないのです。 しかし、好転させる事は、出来ます‼️ 全てに於いて、何もしなければ変わりませんが、何もしなければ、悪化する事も多々あります。 例えば病気。 治療しなければ、確実に悪化する事でしょう。 家庭を例に挙げれば、夫妻の間にも、夫が妻を道具の様に扱えば、 何時の日にか、手痛い反撃に合い、悲しい顛末を迎えることでしょう。 また、逆に妻が夫を、金を運ぶ運搬車の如き、扱いをすれば、運搬車は、二度と元の車庫には、戻りません。 互いに、助け合う所には、調和が生まれ、自己主張の中には、不協和が生まれ、 やがて破局を迎える様に、何もしないと言う事は、何も好天しないと言う事なのです。 寿命も同じく、身体を大切に、使いケアーする事も大切です。 人間は、生まれてくる前に、寿命も決めて、生まれて来ます。 生きるも、死ぬも天まかせは、真っ赤な嘘である‼️ 広義では、死ぬ時期も、死に方も、自分で決めて生まれて来るのです。 ただし、自殺は肉体の意志であり、魂の意志では、ありまかせん‼️ 言わば、宿命も寿命も、自分で決めて、生まれて来ます。 運命は、変えられます‼️あなたの、強い意志があれば、変えられます。 しあわせを決めるのも、あなたが主体なのです。 逆に、不幸を決めるのもあなたなのです。 物質を得ることだけが、幸、不幸のバロメーターだとしたら、人生とは、愚かな時間の無駄だと私は思う。
by kongousan-akafudo
| 2020-06-20 12:00
| └私たちの暮らし
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