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自殺に関する密教ブログ③

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■無垢な心

幼い子供の心は美しい。

何故美しいか?
それは、持って生まれた心《魂》そのままだからである。

本来、生まれて三歳までは、魂そのままが表面に出て、その後、様々な事象を経験し、自我が形成される。
始めから悪い人間はいない。
子供には、子供の良心があるからである。

年月を重ねて行く内に、良心を伸ばす子供、悪心に支配されて行く子供、魂が怯え疲弊して行く者と分かれて行くのである。

では、何故分かれて行くのか?
それは、自我に依る目覚めである。

大人に成って、益々自我を増大させる者も昨今では珍しく無い。

その証拠に、近年の犯罪事情を見れば誰でも分かるはずである。
反省の無い犯罪者の心に、最早人間と呼べる心は無い。

では何故、ここまで堕ちるのか?
敬いを軽視する風潮は、日本に限らず世界的な傾向である。

敬いを軽視する者に、尊ぶ心など理解出来る訳もない。
理解出来て居るのなら、老人を騙してお金を巻き上げる輩が居るわけも無いはずである。

そして、自殺者も増加して居る事に誰も関心が無い。


昨今、今の日本に必要なのは學びであると思う。
たった5分でも良い。
その5分に込める時、変わります。

他の人が変わるのを待つのでは無く、自身から変化する時、確実にあなたの人生は変わります。

■変貌

何故、人は変貌するのか。

過度のストレスとか、精神不安定とか様々に取り沙汰されるが、本当の意味で知る者は少ない。

自殺も同じで、本当の意味を知る者は少ない。
現実からの逃避だと言う人も居ますが、これも完全に的を得ているとは言いがたい。

誰でも一度くらいは、現実から逃避したいと思った事があるのではないでしょうか。
では、何故あなたは逃避しなかったか?

それはあなたの魂が《理性》優って居たからである。
しかし、それに胡座をかいて居てはいけない。
人間は、學ぶ事で自ら成長します。

一事が万事では無く、現代は多様化した問題も発生しております。


良い意味で自らの學びも変化させる事で、多様化の前に進む事が出来ます。
そしてその結果、翻弄される事はありません。

現界は、檻や柵の無い動物園の様な場所であると理解すれば、不思議など無いとお解り頂けるのではないでしょうか。

全ては自分の魂を磨く為の試練。
辛い事も悲しい事も、全てあなたを磨く磨き砂。
それでも堪らない人は、信用置ける人に聞いて貰いなさい。

そして涙が止まったら、前を向いて進みましょう。

あなたには、明日があるのだから。


■怯えて生きる

人間には様々な苦があります。

病気、怪我、生活苦、人間関係。
様々な苦が周りには、数え切れないほどあります。

しかし怯えて居ても、何の解決にもなりません。
様々な苦を乗り越えてこそ意義があるのです。

引きこもり自分の世界に居られるのは、親の保護があるからである。
親も死に、自分一人で生活し生きるには、嫌でも世界に出なくては成りません。
その時に怯えて出られないければ、餓死しか無い現実に気づいても遅いのです。

また、自殺しても更に厳しい世界に転生するのです。

逃げても逃げられ無いのなら、勇気を奮い起こして生きる時、御仏の大慈悲が判ります。

御仏は、私達に耐えられない試練を御与えに成りません。
それぞれに適した試練を御与えに成るのです。

悲観や絶望は、人間の底力を上げます。
力量とは、物や金では計れません。
計る手段があるとすれば、苦労、試練にも負けず生き抜いた時の経験値ではないでしょうか。

悲劇の主人公に自分を置いてはいけない。
自分で自分を哀れんでも、何の役にもならないからであります。

それよりも、自分から底力を信じて立ち上がり、経験を學びに変える時、其処に弱かったあなたは居ません。

心の筋トレは、あなたを助ける頼もしい味方です。

■自殺願望

自殺願望は何故生まれるか?

生きる事への怯えが自殺願望に繋がるからであります。

助けを求めて彷徨うも助けは現れず、死にたい気持ちが助長され、

「死にたい」が、「死ねるかな?」から「死ねる」に向かった結果です。

自殺は逃避にも成りません。
逆に苦しみを増すだけなのです。

現界に生まれた事は學びの選択であり、目標も目的も全て自分が決めて生まれて来ました。

経典にもはっきり明記されております。

自殺を今考えて居る方は、まず試して頂きたい。
部屋を出て太陽の光を浴び、花を《花畑、草原》見て、寝ころんで下さい。
そこには、爽やかな風と暖かさを感じることが出来るはずです。

人は、辛さ、悲しさ、苦しさに弱いもの。

恥ずかしいなどと考えず、まずは生きる事も死する事も忘れて爽やかな風を感じて下さい。

あなたの心の傷を癒すのは、あなた自身しかないのです。
忘れ上手は生き上手。
死にたい気持ちも忘れて下さい。


それでも死にたいと願う方は、私と一度でもお話ししませんか。

死は急がなくても、いつかは必ず訪れます。

私と一緒に急ぐ意味を考えても、時間はたっぷりあるのだから。

■自殺は悲惨

私の寺には、様々な悩みを抱えた方々がお出で成ります。

中には、ここで解決出来なければ自殺しようと思い詰めて居る方も居られますが、生きる氣力を取り戻して帰られます。

それから、ほとんどの方が、ある人は弟子に、あるいは信徒に成られて居られます。
御本尊様の慈悲の力の成せる技であり、改めて想う事、それは道具と成り生きる我が身の有難さです。

自殺は人生の中退、やり直しは効きません。

そして最も悲惨なのは、自殺した後からやって来る事を誰も知らないことです。
私なら、自殺するくらいなら行法の下で命が滅するまでひたすら待ちます。

自殺は家族を泣かせ、周りに悲しみと苦しみしか残しません。
そして自殺した本人は後悔と自責の念に苛まれ、暗黒蔵の中に自ら入り、反省の年月を送るのです。


これを救えるのは、御仏しか居られません。

それも、自殺した本人が完全に反省をしなければ、未来永劫、暗黒蔵の中で一人たたずむ時を過ごす事になるのです。

これを信じるも、信じ無いも勝手です。
しかし自殺を決行した時点で、戻り橋は無いのです。
私は自殺を様々な状況の中で体験して参りました。

■心の転身

人は満足の中では、何も考え様とはしないで在ろう。
その逆に窮地に陥ったり、苦境に遭遇した時に初めて考えるで在ろう。
では、苦境、窮地に陥った時に改善出来る人は何人いるだろうか?


今思えば私の人生は、苦境と窮地の連続だった。

希望が実現したと安心すれば破綻し、しあわせな家庭生活も死の訪れに依り崩壊。
失意をこれでも可と云うほど味わって来たが、変わらない事が一つある。
それは信仰心である。

何度も死を考え、自分と向き合い、それでも涙を拭い仕事に向かう働く事は生きる為であり、当たり前の事である。

だが、失意の内にある時に生きる為に働く事の辛さを体験した時、人は様々な思いに翻弄されやすい。

生きる意味を失い彷徨う時、人は死を考える。
そんな時に多いのが憑依である。

自殺した方の言葉を聞く時、異口同音に答えられるのは『何故死んだかわからない』である。

正に死ぬ氣などなかったのである。
では何故、自殺したのか?
引き込まれ現象である。

引き込まれは、誰にでも起こります。

例えば、失意の内にある人が死にたいと考え彷徨う時、心の隙間に入り込んで来るのが憑依である。

死にたい、死ねるかな?死ねる。に変わるのが憑依の実態である。

しかし、恐れる必要などありません。
正しい信仰心を確立していれば、そんな低級霊に翻弄される事などありません。

何故ならば、明日を怯えて迎えるより、自身から明日に飛び込み、希望を実現する為に生きる事が重要である。
失意、絶望の中からは何も生まれません。

心の転身を果たし、明日に羽ばたく姿を想像する時、あなたの人生は変わります。



by kongousan-akafudo | 2020-06-14 12:00 | └私たちの暮らし
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