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密教841 私の祈祷遍歴①

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それは、ある旧家の依頼を受けて出張祈祷に行った時の出来事である。

その御宅では長男が短命で、今迄、次男、三男の方が家の跡継ぎをされて来ました。
しかし今回、御夫婦に長男が生まれ、どうしてもその子に跡継ぎをさせたいという依頼でした。

私は考えました。
そして出た結論が霊査である。
原因が分からねば、対処しようがない。

そして祈祷の日を迎えた。
準備は万端である。
一族の方々が列席され、いよいよ祈祷開始。
まず、その家の御先祖様の御供養をさせて頂き、敬意を表する。

そして本題に入った時、私の脳裏にある映像が流れた。
人身御供【ひとみごくう】である。
いつの時代かは不明だが、服装からすればかなり古い時代だと解釈出来る。

私は祈祷を中断し、列席者の前で尋ねた。
過去に、人身御供の話を聞いた事があるかないか?

すると、老齢の方が話して下さいました。

昔、飢饉が起きた時、白羽の矢が屋根に刺さった家の子供を人身御供として供えたという。
【方法は、悪用を避ける為に割愛します】
そこに悲劇が有った事は言うまでもない。
その後、人身御供を差し出した夫婦は、子供の眠る池に身を投げて死んだ。


人身御供
人身供犠(じんしんくぎ)ともいう。
神をはじめ超自然的存在への捧(ささ)げ物のうち、とくに生きた人間を殺すことにより、その血や肉体や霊魂を捧げることで、南・北アメリカ、アフリカ、古代エジプト、インド、中国など広範に行われた。

その目的は供犠一般と同じく、
(1)神などの加護を得て、人間にとって望ましい結果を得ようとすること
(2)疫病の流行、天災などの災厄を神などの怒りによると考えて、それをなだめ慰めるため、
(3)食人儀礼と結び付いて、神に人間を捧げると同時に、その血や肉を神とともに食べ、そのことによって通常とは異なる力を得ようとすることなどである。

人間が捧げられるのは供物としての価値がもっとも高く、したがって、効果が高いと考えられたからであろう。

(中略)

人身御供となる人間は、自分の集団から選ばれる場合と奴隷や敵の捕虜などから選ばれる場合とがある。
自分の集団の人間を供犠にするときには、「白羽の矢」が立つなどという形での、神意によって選ばれることが多い。

同じ人身御供であっても前者と後者とではやや意味が異なると考えられる。
なお、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国遠征の際に、弟橘姫(おとたちばなひめ)が海を静めるため、自ら海に入ったというような自殺の形をとることもある。
殉死もまた一種の人身御供である。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より引用


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私はその池に案内して頂き、壇を組んで供養護摩を修し、精一杯葬いの意を込めた。
それから30年、あの幼子は立派に家業を継ぎ、当主として働いている。

後日談ですが、あの祈祷の後、皆で話し合い、池の側に供養塔を建てました。
毎年、盂蘭盆会を開いて供養されておられます。
正に、時空を超えた理解が働いたと言える事例である。

昨今、墓じまいが流行る中、今でもお参りし、華を手向けて供養されている供養塔。
かの家の益々の繁栄と弥栄を、念じる次第であります。

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南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




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by kongousan-akafudo | 2018-08-02 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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