私は仕事柄、数え切れないほどの人に会って来た。
そのなかで、昔の人が言うように『目は口ほどに物を言う』という事を実感して参りました。
例えば、詐欺をなりわいにして居る者の眼は卑しく、警戒心が強く眼に現れます。
他人の悪口や誹謗中傷を好む者の眼は、姑息な目つきに変貌して参ります。
その逆に、子を想い愛しむ母の眼は、正に菩薩と言って良いでしょう。
そして良き父の眼には、例え何が起きても護りぬくといった、泰然自若たる自信が現れます。
ここで特質すべき事例を紹介しよう。
【個人情報保護法に抵触するので、個人の特定は出来ません】
眼ばかりでは無く、人相まで変異変貌を遂げてしまった最悪な例である。
私は、上記の者達を2人知って居るが、哀れな末路を辿るであろう。
人間は、學ぶ事を嫌って怠惰に生きれば、生きたように死ぬ。
學びを深め、他が為に生きる者の生涯とは、天地雲泥の差が生じる事は紛れも無い事実である。
先祖を敬い、神仏を尊び、正直に生きる者は、例え現在が不幸と感じられても、學びを深めて行く時、必ずや笑顔の時が訪れます。
そして、その笑顔は終生消える事はありません。
奈落に生きるか學びを選ぶかは、全て自由意志なのである。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主長永作優三輝