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憑依に関する密教ブログ②

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■憑依

私は今迄に、この題材を幾度と無く書いて参りましたが、憑依は止む事が無く広がり続けております。
それでも私は言います。
続けていれば、結果は見えております。

しかし、理解し無い、理解しようとせずいれば必ず、結果が出るのです。
また、それも仕方ない事かも知れません。

理解するも良し、理解せざるも良し。
全ては、自由意思なのです。

これから私は、信じ、學ぶ人に、教える路を 歩んで参ります。
それが、多難であろうと、信じた道を突き進んで参ります。

密教僧として、先人の知恵を智慧に替える努力を続ける時、路は開かれます。
心ある方々は、共に學び、共に歩みましょう。

誹謗中傷が強ければ強いほど、この路が正しい証しに成るのだから。

■慰霊

私の元には連日、様々な相談や依頼御座います。

一例を挙げますと、憑依現象に依る異変が最も多く、中には明らかにポルターガイスト現象であると断言せざるを得ない事例もあります。

ポルターガイスト現象とは騒霊現象であり、その実態は、家人のエクトプラズムを憑依霊が勝手に使う事が一番の原因であるのです。
これは、好むと好まざるに関わらず発生する霊現象であります。

これを撃退するには静電気が有効ですが、悪用を避ける為、此処では伏せ置きます。

私の寺では、加持祈祷に依り撃退しますが、撃退だけでは不完全である事を、皆さんにはお伝えします。
様々な方法で撃退出来たとしても、また直ぐに憑依を繰り返します。

これを避ける為に、行うのが慰霊なのです。

当院で行う慰霊法とは、憑依霊に合った霊を召喚して霊界へといざない、二度と現界に舞い戻る事が無き様に説得し、説得に応じた霊体の慰霊を行ないます。
が、慰霊に応じ無い霊体には、然るべき修法にて調伏して居ります。

慰霊とは、霊体に納得して貰い、再生を促す方法と私は考えます。
納得も無い慰霊行為は傲慢であり、押し付けでは無いでしょうか?

■浄化を促す 音霊 言霊

浄霊や浄化が出来るのは、能力者《霊能者》だけでは御座いません。
皆さんの身近に有る歌とメロディーで、下手な能力者より凄い浄化力がある事をご存知ですか?

私は、よく歌のコンサートに行きます。
其処での出来事を、ご紹介致します。
今迄に何度となく、観てきた現象です。

それは、ある歌手の方が《花》を熱唱した時の事でした。
当然、客席は明かりが落とされて、ステージにはスポットLightが当たり、華やかです。
歌が佳境を迎えた時、客席からモヤのような煙が上がり始めたのです。

私は、ステージ演出なのだと思いました。
しかし、それはステージ演出では無く、客席に居る観客に憑依して居た未浄化霊だったのです。

歌の歌詞とメロディーに感動し、自然浄化を果たしたのです。
勿論、歌手の力量もありますが、歌の歌詞とメロディーが感動を与えたのです。

古来より、優れた言霊、音霊には、浄化作用がある事は常識的に伝えられております。
ただ、現代に至っては忘れられた感があります。

しかし真実は、現代の如何なる科学や物理学でも解明できない事象を引き起こします。

■餓鬼の憑依

餓鬼とは、現界で、煩悩の儘に生きた者が、死後、霊界に帰らず、現界にとどまり、欲望の続きを求めた結果の姿《成れの果て》なのです。
ただ、始末が悪いのが、憑依を繰り返し、普通の人に害をもたらすのです。

その一例が、過食、拒食と云った障害を与える事であるのです。
餓鬼は欲を貪る鬼であり、普通の人が太刀打ち出来る様な者では有りません。
餓鬼には、説教は通じません。
餓鬼を絶つには、調伏法しかありません。
しかし、今の時代、調伏法を真剣に出来る者も、限られて居るのも現状で御座います。

では何故、調伏法が出来ないのか?
それは、調伏法を修して、敗けた場合の被りを恐れての事なのです。


調伏で一例を挙げれば、平将門《将門の乱》が有名です。
伝によれば、高野山から成田山新勝寺に不動明王尊の尊像を運び、平将門、調伏の為に五大明王法を厳修したと聞きます。

五大明王法とは、不動明王尊を頭領とし、護摩壇を五壇配置し修する大法ですが、最大の秘密があります。

ここに書くことは出来ませんが《悪用防止の為》五大明王壇の他、秘密の壇をもう一壇組むのです。
その一壇とは、《秘密です》
その一壇が無ければ、完成しません。

正に調伏法とは、それほど難解であり、普通の僧侶が出来無いのも納得出来ます。
餓鬼を調伏するのに、平将門を調伏したほどの法は必要ありませんが、簡単には出来無いのも事実で御座います。

皆さんには、くれぐれもご用心して頂きたいと存じます。
まずは、怪しい事には関わらない事です。

自分の波長を上げて下さい。

波長を上げる事に依り、ツマラナイ事には巻き込まれません。
巻き込まれても、波長を上げる努力をして居れば、必ず救いの手が差し伸べられ、妖の手から貴女を救います。

私の記事を読んでくださって居る方々には、波長を上げる事はお解りだと思います。

昨今、魑魅魍魎が闊歩しておりますれば、くれぐれも御自身の心と身体をご自愛下さいます様、お願い申し上げます。

■憑依の恐怖

私は、一人でも多くの方に、知って頂きたいので御座います。
憑依は、現実に進行して居る事を。
そして、防衛して頂きたいのです。

自分の未来を護る為、愛する人を護る為に、私はキチガイ坊主と罵られ様が構いません。
皆さんが、安心立命の中に暮らせる事を願い、今日も登高座に上ります。

憑依は心の隙間に入り、あなたの人生をメチャクチャにする事が目的なのです。
憑依の存在を知り、學ぶ事である程度の自衛は出来ます。

私達は本来、霊的な存在である事を理解する事です。
學ぶ事は、依存を寄せ付け無い為の最良な道なのです。

様々な修行法が御座います。
しかし、修行より法の伝授より優れた方法は、正しく霊を理解し、學ぶ事なのです。

霊をもて遊んだり、道具にしようとすれば、逆に憑依を呼び込む事に成ります。
本当の意味で霊と向かい合い、霊の存在を認め、理解するには、本質を學び、理解を深める事が先決なのです。

このままでは、日本はアメリカの二の舞《憑依大国》です。

日本には、古来依り霊的な學びが残されています。
原点に帰り、學ぶ事こそ、明日の自分を大切にし、護る事に繋がるのです。

■一過性と永続性とは?

刹那的などと一般的に使われる言葉ですが、刹那とは、一般的に解釈されて居る意味とはかなりの隔たりが御座います。
刹那とは、仏教用語で一瞬を捉える事を意味するのです。

此れと同じように、歪曲して解釈されて居る言葉と行動が、現在氾濫して居る様に思います。
様々な神仏を、祭壇を設けずに語り、利用する時被ります。

増してや、眷属を語れば此処に極まれりです。
神仏は、人間が操れる訳など御座いません。
昔、コックリさんが流行して、日本各地で盛んに行われた時、様々な弊害《被り》が発生致しました。

当事者で、未だ精神に異常を来たして廃人に成った人を私は見て来ましたが、救う事は不可能です。
最初は簡単な憑依が、時間の経過に依り、本人の人格を退けて憑依した物が実体化して、完全憑依と成り、精神に異常を来たしたのであります。

今、正に、昔流行ったコックリさんブームのように成って来て居る現状を見る時、私は思います。
また、犠牲者が増えるのかと。
しかし、助ける事は出来ません。

何故ならば、本人が望んでいる行動を、他が止める事は出来ません。
教えても、本人が自覚しない限り、確実に憑依は浸透して行きます。

恐ろしさを知った時には、もう手遅れに成って居る事の例があまりにも多いのです。

賢明なあなたは、そんな事に触れる事も無いでしょう。
しかし、今の時代、呉々も用心する事をお勧め申し上げます。

■旅先での憑依

私は、仕事で地方に出向く事が御座いますが、今回の旅は油断した事に反省しております。

あの日私は、朝から親孝行を兼ねて、年老いた両親を温泉旅行に連れて行きました。
ホテルでの出来事で御座います。

両親を部屋に案内して観察し、何も無い事を確認してから自分の部屋に入りました。
慌ただしく両親を伴って大浴場に急ぎ、あとは家族で団欒を楽しみ、すっかり安心しきっておりました。

酒を酌み交わし、宴を楽しみ、夜半に床に就きました。
旅の疲れもあり、無防備で寝てしまいました。

そして、明け方。
しまった。と、思った時は、遅かった。
喉を遣られていました。

私には喘息の持病があり、注意して居たのですが、弱いところを突かれてしまったのです。
憑依であります。

朝、霊視して視ると、私が泊まった部屋の片隅の場所で自殺が有ったのです。

状況は、生々しいので書く事は避けますが、手首と首を斬ったらしく、私は喉を遣られてしまいました。
あれから3日。
ようやく体調を回復しましたが、毎夜、同じ時間に喘息の発作に悩まされ、寝る事も出来なかったのです。

後で思えば、畳が三枚だけ新しく、障子も慌ただしく貼り替えた《素人仕事》跡がありました。
私とした事が、両親に気をとられ、自分自身の防衛を怠った事を、今は反省して居る。

今の日本では、何が何時、起きてもおかしく無い状況であります。

常に理性を持って、自身を律する事は防衛に繋がります。

皆さんも、呉々もお気をつけ下さい。

■ギャンブル依存症

昨今、ギャンブル依存症、成る言葉を、く耳にしますが、私は以前より、ギャンブル依存は憑依と申し上げております。
《症》と着けば、全てが病気の様に思われがちですが、強度の依存《症》は、ほとんどが憑依に元づく現象なのです。
本人の人生はおろか、ご家族までも地獄に引きずり込む憑依は、今年に入って急増して居ます。

まさかこんな事に成ると思って居なかった、と言うのが、この依存症《憑依》に掛かって、人生をメチャクチャに成った人の言葉で御座います。

私の相談室にも、依存症に掛かって助けを求めて来た方は良いほうです。
ほとんどの依存症《憑依》事例を見れば、納得されると思いますが、最後は悲惨を極めて居ます。

依存症を治すには、理屈ではダメなのです。
医師とタッグを組める者が、必要なのです。

当院では医師とタッグを組み、医療の観点と密教の観点から対処して居ます。
医学と密教は、元々は同じ世界のものなのです。

現代人がそれを知ら無いだけであり、また、法的にも分離されているので仕方無いのですが、本来、医学を日本に運んで来たのは僧侶だったのです。

私の寺では医師と連携を取り、様々な事案に対処して参りました。
此れからも、医師と連携を取り、様々な問題解決に寄与して参ります。
まずは、医師に相談する事は、問題解決の第一歩です。
精神医学も日進月歩、進んで居ます。

依存症は心の病であり、適切な治療法を施さなければ人生の破滅に繋がります。

by kongousan-akafudo | 2020-03-25 12:00 | ├密教の世界
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