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傲慢とは何か?⑩

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伝統の世界

伝説の世界伝説というと、皆さんは御伽噺や神話を想像されるのではないでしょうか?
実は、伝説の中には隠された真実があるのです。

何故、真実が隠されたのか?
それは、一般の方々が有する知識の、尺度が違い過ぎた現象が起因しているのです。

例えば、私の行場である〇〇の滝の主は金龍神。と私が言っても皆さんは信じますか?
しかし、私がお連れした方々は、ほぼ全員の方が見られました。

私は、数日後にある方を行場にご案内する予定ですが、滝は生き物。
果たして、機嫌良く御姿を現してくれるかは解りません。

森羅万象の理は、愚僧如きの自由になるほど、甘くはありません!
しかし、その方に御自分の眼で見て、確かめて頂きたい!

何故か?
一人でも多くの方々に、森羅万象の理とは、何かを知って頂き、人間とは、自然とは、霊的真理とは、摂理とはを知って頂き、
一人でも多くの方々に、理解して頂き、理性的に自然と向き合う、一歩にして欲しいのです。

自然と向き合い、自然を愛し、自然を敬う時、自然は、私達人間を受け入れ、様々な恩恵を、人間に与えます。
ともすれば、傲慢になりがちな自分を諌め、謙虚な自分に回帰した時、私達は、子供の頃に見たあの現象を見ることが出来ます。


私だけが特別な力が、ある訳ではありません。
貴方にも、貴女にも、本来ある能力なのです。
ただ忘れているだけなのです。
能力を取り戻す事は、簡単です。
子供の頃の、純粋無垢な心に帰る努力をすれば良いのです。

純粋無垢な眼は、全てを見通します。
真に平和を望むなら、子供の頃の様な、純粋無垢な心を蘇らせる事が、一番ではないでしょうか?

理解と無理解

前回で霊界の事に触れたので、何故、霊界の事を理解せねばならないか?に視点を置いて以下を進めたいと考えます。
理解と無理解とは、穴があるのに無理解に阻まれ、穴に落ちるのと同じ事である。

無理解の人は、確かめもせず、そんなものは無いと否定します。
かたくなと言うより、傲慢である。

今の時代、自身が真剣に學ぼうとすれば、分からない事などほとんどありません。
与えられる事を待って居ては、将来必ず後悔するであろう!


例えば、何故、人は死を恐れるのか?
それは、死を理解して居ないからである。
死は怖い事、全てが終わる、全てが無に成る。と言う妄想と、霊界への無知から発生する根拠の無い間違った思想の影響である!

死を真剣に學び、真摯に受け止める時、科学が理解出来るはずです。
言わば、霊界否定は科学を歪曲して傲慢に論ずる、野蛮思想と同じであります。

私は、霊界を否定する者を信じません。
何故か?
霊界を否定して、供養も出来なければ信仰もままならないからである。

今、私をキチガイ坊主と言う者は、見て居るが良い。
当院には、普通の僧侶が持ち得ない経典群の宝庫がある。

やがて解読班の精鋭によって、原文と現代語に訳された経典が、近いうちに世の中に出ます。
その時、真実が理解出来るはずです。

その時に知っても、出遅れは縮まら無ない事が理解出来るはずです。

不安は何故起こる

不安を感じる事は、誰しもあるだろう。
しかし、漠然とした不安感に捉われ、自身の精神まで不安の渦に包まれては、精神を病むだけで何の解決にもなりません。

むしろ、あなたの不安は何処から来て居るのか、どうして不安なのかを自分自身に問うてみる必要があります。

例えば、金銭的な不安なのか?
人間関係に不安を感じて居るのか?
夫婦間の不和から来る不安なのか?
職場に関する不安なのか?

人によって様々で在ろう。

しかし一言で言うなら、漠然とした不安感なら、忘れて美しい物を鑑賞し、美しい音楽を聴きなさい。
気持ちが癒されます。

そして、対処可能な不安感であれば適切な対応をお勧めします。
難しい事は言いません。
それも出来無いのであれば、ノートに不安要素を書き出し、優先順位を付けて一つ、一つ解決の努力をしていれば必ず無くなります。

但し、自分は貧乏だから苦しむのだ、自分は何々が無いから、とか言う悩みや不安感であれば、自分の傲慢さを反省する事である。
例えば、金が無い、金が欲しいと言う不安感なら、仕事を増やし、増やした分の収入を浪費せず貯金すれば良いだけである。

人間の欲望ほど際限のないものは無い。

私は20歳で親を亡くし、帰る家も無いところから今を築いて来ました。
決して平坦な人生ではなかった。
しかし、嘆いても泣いても、帰って来ないのが過去である。
ならば、前を向き、進むしか無いと考えます。

人生は學びの場。
楽しい事ばかりが続けば、人は學びを忘れて怠惰に生きるで在ろう。
怠惰に生きた者は、他を誹謗中傷する事で己れの存在感を示そうとします。
誠に哀れな生き方である。

これを指して、人生の無駄使いと言うのであります。
あなたの人生を輝かせるか腐らせるかは、あなたの心次第なのです。

それでも、迷い、不安が拭いきれない無い場合は私に相談して下さい。

魂年齢の低下

普通は、様々な事を年齢と外観で判断しようとするが、昨今は、その判断は通用し難い感がある。

自分勝手な人が急増して居ることは、皆さんもご存知では無いでしょうか。
人間は、ある程度の経験と年齢を重ねて来れば、思慮分別が身に着くものと考えがちであるが、それは誤りである。

例え、学問が無くとも、思いやりや愛に満ちた方は、必然的に學びを重ねたと同じ効果を得る事が出来ます。

その反対に、学問は合っても傲慢で自己中心性の強い者は、魂の劣化を引き起こす。
楽しいはずの人生が愚痴と妬みに変化し、イライラを募らせ、自身の中に闇を形成するのである。

例えば、犯罪者で一番反省の無いのが、詐欺行為者である《再犯率が高い》。
昨今の詐欺は巧妙化を極め、弱い者を餌食として居る!
正に許し難い行為である。
何故、反省せずに、再犯に走るか?
簡単な原理である。
多重憑依を繰り返し、自制心が欠如して居るのである。

しかし、憑依を生むのも《波長の法則》自らが選んだのと同じであり、魂の年齢を引き下げたのも自分なのである。
高い波長を得る道は、萬人に許され、用意されて居るのだから。

向き合い、向き合う

折衷すると云う事は、私の中では向き合う事と捉えて居ります。

また、向き合いは、相互の理解が必要と考えます。
私は、長年、護摩行を厳修して参りましたが、本当の意味での折衷を解釈、厳修出来る様になれたのは近年と考えます。

若い頃は、ただひたすらに焚き上げることに必死で、鬼気迫る気迫しか持ち合わせていなかったと回想して居ります。

誰しも、若い頃はがむしゃらであったり、勢いに任せていた経験があると思います。
人間関係も然り。
自身の意見を前面に語り、周りにうとまれた事も有ったでしよう。

しかし、年齢を重ねてしだいに丸く成り、向き合いに心を置く時、今迄に見えなかった事が視えて来ることがあります。

それは、和である。
無限も輪であり、円も輪である。
直線的輪は、原動力が無ければ失速しますが、無限の輪は動き続けるのである。

調和し《理解、理性、智性》折衷する事を理解し、原動力とする時其処には、和《輪》が生じ回り続け様とする力が介在します。
何事も一人の力は、一人と捉えられる時、あなたは、向き合い、向き合う事の幸福を感じる事に成るのです。

傲慢は破壊を産み、理解は調和をもたらします。

障害は個性

例えば、ダウン症の少女が書家と成り、素晴らしい作品を生み出し私達に感動を与えてくれます。

水泳に至っては、迫力ある泳ぎで感動を与えてくれる少女が、オリンピック《パラリンピック》に向けて素晴らしい泳ぎで私達を魅了してくれます。

様々な世界で活躍する個性派を、皆が応援、交流し優しい心で生きる時、其処には、平和の二文字が生まれます。

本当の意味での個性は、ワガママや怠惰、傲慢の中からは、生まれません。
私達が個性を理解して応援と協力をしなければ、せっかく芽生えた個性を枯らせかねません。
個性派達は、私達に様々な氣づきを教えてくれます。

氣づきとは、真摯に受け止めなければ、生涯、知ること無く、人生を終える事になるでしょう。
謙虚にならなければ、見るに終わり、學びにも繋がりません。

個性派の方々は、霊的に言えば、勇気がある魂なのです。
私達は、互いに助け合い、學び合う時、本当の學びに出会うことが出来るのである。

マニュアル化現象

本来、人間は、思考する事に意義があるが、昨今のマニアル化現象に依り、短略的思考になっている人をよく見かける。

例えば、コンビニでの接客態度、ファミレスの接客など…。
正に、心の無さを感じている人も少なくないと思います。


そして、復興大臣の失言は正に傲慢である。
《氣は、使うものでは、無く、利かすものである》

言葉は心を発するもの。
まずは、心の中で咀嚼し相手の気持ちを考え発する事が肝要である。
考えもせず、思うがままに発するは、如何なものであろうか?

接客とはおもてなしの一歩。
接客態度がおざなりでは、どんな美食であろうと台無しではないだろうか。

人間関係も然り。
まるでマニアルのように接すれば、上手く行く事も台無しであろう。
全ては想いやる心から始まるのが、日本人の美徳ではないだろうか?


久遠の力

正に普遍。
皆さんもご存知の通り、地球が鉱物に依り形成されて居る事は小学生にも理解出来る事です。
しかし、何故鉱物なのかを考えた事がありますか?

それは、正に久遠《普遍》だからである。

久遠の力《くおん》は、誰でも持つ事は可能なのです。
それは、信念を確立する努力から生まれます。

人間は死んだら終わり。と考えること自体が、久遠の力を遠ざけて居る事に氣づくべきである!

ここで、魂の創生の順番をお話しましょう。

まず、人間が全ての始まりと考えるのは傲慢である。
人間がこの世に誕生した時を考えて下さい。

大地があるから、陸地、海上があります。
そして生物の誕生。
それから長い年月を経て人間の誕生。
このくらいの事は誰でも解ります。

しかし、魂の段階で理解して居る方は少ないで在ろう。

魂は全てに存在します。

順番で言えば、鉱物霊、植物霊、動物霊、人間霊。
大別すれば以上になる。

私達の本性は、霊体なのです。

ただ肉体を持った時点で、様々な力は忘却します。
その力を呼び覚まし、現在に活かすのはあなたの努力次第である。

自分が眼を開けず、忘却の中に彷徨えば、終生分からず一生を終えることが通例である。

そして、死後に氣づくのである。
何故、死後に意識があるのか?





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by kongousan-akafudo | 2018-06-30 12:00 | └私たちの暮らし
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