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傲慢とは何か?③

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一喜一憂

人間は、生まれてから死ぬその瞬間まで、様々な経験を積んでゆきます。

例え病いの床にあっても、介護される愛に出会います。
例え意識が無かろうと、魂の内に経験を重ねて居るのである。
人の死とは、肉体が滅した時、肉体の學びが終わっただけである。

本当の死とは、人を怨み自ら死する事である。

小さな事に一喜一憂し、これから来るであろう人生を自身が放棄する事は、魂の中退行為である。

生きる事は本来素晴らしい事であり、學びを深める千載一遇の好機と捉えるべきである。
疲弊しても立ち上がる氣力、転んでも饅頭を両手に持って立ち上がると決めた時、人は強く成ります。

私の信念は、寄る辺は御仏、立ち上がるは自分。である。
泣きながらでも立ち上がる時、必ず力は湧いて来ます。


もう立ち上がる力が無い。と言うのは甘えである。

何度も何度も躓き、何度も泣いても、諦めてはいけない。
増してや、自身で命を絶ってはいけない。

それは、自身が傲慢であるから命の私物化につながるのである。


一般的に良い事とは何か?
お金に不自由しない事かもしれないが、私が思う良い事とは笑顔で生きる事だと考えます。

お金が有っても、周りが安心出来なければ、何の為に生きたのかと考えます。


執着

執着を手放す時、人は最高の自由を手にします。
受け継いだものも、自身が築いたものであり、永遠に続くものなどありません。

諸行無常、形あるものは、いつかは滅するのである。
増してや、金銭に執着する者に安心は無い。
安心は、執着を手放す時、必ずあなたを包み込みます。

我欲、傲慢に溺れ己れを見失う時、不満、不安に襲われ、全てを失うであろう。

幾つになっても氣づく事は可能である。


それを嫌い、我欲、傲慢に生きる時、未来永劫、安心を得る事は難しく、

ふっと氣づけば人生は終焉の時を迎えて居るのである。

氣づき、修正に向けて生きる時、平安は訪れます。
その時氣づくのです、我欲と傲慢は必要無いと。

今年もあと僅か。
自身の区切りとして、考えて観るのも良いのではないでしょうか。

縁を結ぶとは

私の寺では今回、聖天尊《象頭双身歓喜自在天》仮称を、在家聖天法を伝授する講座を開講する事に成りました。
早速、お申し込みが殺到致しております。

私は常々、御仏との在り方は敬愛と説いております。

例えば好きな人が出来た時、相手依り優位に立ちたいと想って交際を始めても、結果は解っています。
相手を互いに尊重しあい、進む時、其処には敬愛が生まれるのです。

どんな神仏であろうが、恐れおののくだけでは距離は縮まりません。

こちら側から飛び込み、近寄る事で、ある種の親近感が生まれるのです。
敬いと根拠の無い恐れとは、次元は当然異なるのであります。

恐れるだけで本質を知らなければ、それは無知と成ります。
無知は、時として傲慢を生む種になるのです。

御仏は、皆さんのお出でを、両手を広げて待って居て下さるのです。

親の眼、子供の眼

親子で意見の食い違いで、心のすれ違いが生じることがありますが、それは眼線の違いなのです
目線が違えば、当然視る景色も変わります。

親の立場を全面に出せば、子供は引きます。
逆に子供の言うことばかり通していては、将来ろくな事にならない。
親としての理性的判断が要求されます。

現在、犯罪の低年齢化は、私達大人にも大きな責任があります。
眼線を正しく持ち、ある時は子供の眼線に下がり考え、ある時は客観的眼線で考えられるのが、大人ではないでしょうか?

迎合眼線は正しくありません。
大人に成り、親に成り、立場で学ぶ事を知る事が大切です。

決して傲慢にならず、理性的判断を出来る様になる為に学びは存在するのです。

傷ついたあなたに

現界には、人を傷つけても平気で居る者が増えて居る。

そんな人間ほど、自分が攻撃されれば右往左往して悔しがる。
哀れである。

しあわせな人は意地悪しない!
しあわせな人は他に優しい。

傲慢な人は孤独である!

傲慢な人は将来、人間関係に苦労する。

傷ついたあなたの傷を癒す薬は、學びの中に沢山用意されて居り、悲観などする必要は無い。

傷ついたあなたの方がしあわせである。

何故か?
學ぶ機会を与えられた一人だからである。
これに氣づく時、あなたは悩む必要が無くなります。

例えば痛みを知らない者が陥る穴がある。
それは、増長傲慢の穴である。
この穴に一度堕ちれば、アリ地獄に落ちた蟻と同じで這い上がる事は難しい。
のたうち暴れ、やがて力尽き、地の底に堕ちる定め。

その逆に、前非を悔いて反省し、這い上がる力は凄まじい。


傷ついた者は、復讐など考える時間があれば真剣に學び、前を向いた人生を選択して下さい。
必ず解ります。
自らの選択の素晴らしさを。

そして魂を磨き上げ、より良い人生に昇華する事をご祈念申し上げます。

法則

全ての実相の中には秩序と規律がありますが、例えば秩序も規律をも無視して行えば、結果は言わずとも明白である。


例を挙げれば、家庭内が無秩序であれば崩壊するように、社会も無秩序であれば無法地帯に成り下がります。
今、世界に欠けて居るのは秩序である。

自国が核兵器を持ちたいから他国を威嚇する。
援助が欲しいから威嚇する、正に餓鬼国家である。
ミサイルマン、老いぼれ大統領も大差無いと考えます。

日本では勝手に解散選挙が行われ、国民不在状態の状況は正に無秩序では無いでしょうか?

本当の秩序とは、自身が律する事から始まるのである。
生身の人間、間違える事もあります。

しかし、間違えを認め理解することで、その人は間違い無く成長します。
認めず進める事は、傲慢の海に沈むが如しである。

水は高きから低くきに流れ、地球は規則ただしく自転する事で私達は生きられます。
それらを全て当たり前に捉える時、そこには學びは発生しません。

当たり前の中には學びは存在しない。
当たり前の中には、傲慢しか存在出来ないのです。

従って、思いやり、優しさ、敬う、尊ぶ、氣づき、全て幻と成り下がります。

時には振り返り、自分を自分が分析し俯瞰すれば、誰にでも解ります。

生きる為の反省が、學びに繋がる事に氣づくはずです。

難しい事ではありません。
自分自身に素直になるだけ。
美しい物を美しいと感じ、素晴らしい事を認める感性である。



by kongousan-akafudo | 2019-11-20 12:00 | └私たちの暮らし
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