![]() ■天蓋 密教では天蓋は不可欠な仏具ですが、高価でなかなか入手困難であります。 しかし日本人の叡智は、困難を乗り越えて可能にして来ました。 その結果とは紙天蓋です。
天蓋 天に懸(か)けられた蓋(がい)の意で、仏像や導師の上にかざす装飾的な覆いをいう。古来からインドでは強い日射しを避けるため、貴人の外出にはつねに傘蓋(さんがい)で覆う習慣があり、これが仏教の荘厳具(しょうごんぐ)として用いられるに至ったとみられる。 初期経文には、宝華(ほうげ)や光明(こうみょう)が化して蓋となると説き、仏の白毫(びゃくごう)が七宝の大蓋と化して天を覆ったと記されている。 蓮華(れんげ)をかたどる天蓋は古いものに多く、インドの無仏像時代から中国に至るまで数多く存在するが、のちに、しだいに方形、六角、八角、円形などで表現されてくる。 その多くは蓋の周辺に宝散を垂れ、片隅に幡(ばん)を懸け、華、宝綱、宝珠、瓔珞(ようらく)、鈴などで飾ったものや、天人、霊鳥などを彫刻したものがある。 日本に現存する有名なものに平等院鳳凰堂(ほうおうどう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)天蓋、東寺(教王護国寺)の不動明王像の蓮弁(れんべん)木造天蓋(ともに国宝)、法隆寺金堂の釈迦(しゃか)三尊や阿弥陀仏の天蓋などがある。 後世、寺院の礼盤(らいばん)の天井にもこれを懸け、阿闍梨(あじゃり)を覆う人天蓋と、諸尊を覆う仏天蓋とを区別している。[江口正尊] 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
その昔、紙は貴重品でしたが、木像、鋳造仏は武家や貴族しか持てない高価で貴重な物でした。 そしていつの日か、御幣、紙天蓋と発展を遂げて来たのです。 現在では、誰でも入手可能な仏像、仏具。 いつの日か、紙天蓋や御幣の需要は無くなり現在に至ります。 当院では、忘れ掛けられた文化に焦点を当て、現在、弟子を中心に指導中です。 日本には、紙を使った芸術文化が各地に伝承されております。 日本人の繊細な感性が育んだ文化と言えましょう。 伝承を護り、受け継がれた紙の芸術は世界に冠たるものであると私は考えます。 私は、今後もこの文化の掘り起こしに尽力して行く所存であります。 ■荼枳尼天 通称稲荷神は、商売繁盛の御利益で有名ですが、一度拝んだら一生、拝めと言われるほど、きつい神仏です。 が、本当にきついのは御神体ではなく、御神体で在る稲荷神が乗る眷属の狐なのです。 稲荷神の眷属にも階級があり、それは尾の数で分けられます。 九尾の狐は稲荷神の乗り物であり、眷属中では一番の実力者である。 稲荷神が九尾の狐に信者の願いを叶えるように命じ、九尾の狐が下の狐に伝え、下の狐がまた伝えるのである。 実に整ったシステムである。 しかし、信者が御神体を粗末に扱うと、御神体は平静だが下の狐が黙っていない。 あらゆる事が発生する。 私が頼まれた事例が、次の通りである。 稲荷神の社を取り壊して、アパートを建てたが、借り手が現れない。 次いで主人が他界。 三ヶ月後に長男が他界。 次男も病気で入院中で、母親も病気で自宅療養中である…。 その家の娘さんが愚僧の庵に相談に来られた。 全ての事情を聴いた私は、アパートで祈祷する前に霊視をする事にした。 やはり、眷属の狐が暴れている。 其処で一考、新たに社を建立する事を提案した。 病床の母親と娘さんでは結論が出ないので、親族会議を開き決めたいので、私にも出席して欲しいと頼まれる。 快諾して親族会議の場に出た。 私の勘が的中した。 何処の家にも要るが、科学至上主義人間である。 私は、頼まれたから出席したにも関わらず、疑惑の眼に晒された。 私は、迷わず退席して帰宅。 それから、二、三日して、あの科学至上主義人間が倒れて、私に謝りたいと言うのである。 私は、丁重に御断りしたが、どうしてもと言う病人の頼みと言うので会うだけ会う事にした。 再会して見ると、二、三日前に会った人とは、思えない痩せ方。 私には、直ぐに解った。 障りである。 病人が私の手を握り、先日の非礼を詫び、稲荷社の建築費用、その他を全額、自分が負担すると言うのである。 訳を聞いても、青い顔をして、訳を言わず終いである。 私は、申し出を実行すべく奔走した。 勿論、仕事は休暇を取り、宮大工と打ち合わせをして建築。 次は、知り合いの法具店に法具を発注。 次は、供物である。 米三俵、酒樽一位(いつい)三宝五に山海の物を盛り上げ、御幣を建て、いざ供養の日。 大変な人集りである。 まるで祭りの日です。 まず、今迄の稲荷神を召喚して、社にお入り頂く。 後に、稲荷大社から私が頂いて来た御霊にお入り頂き、この屋の護りとなって頂いた。 その後、不思議な事に病で倒れた方々が全員完治して、お医者様も首を傾げる程でした。 この件は、関わった人が信じる信じないは自由なのに、科学至上主義を振り撒いた結果の出来事でした。 今、その御宅は大盛況です。 ■御幣 御幣とは、日本特有の折り紙文化と融合し、時代の流れの中で独自の発展を遂げた祈りの文化である。 依代としての効果は絶大である。 奉書を折り、小刀で刻む時、口に真言、心に御仏を観想し一気呵成に切り終える。 そして折り返し、幣串に納めて出来上がりである。 誠に手間がかかる逸品である。 様々な御幣が伝承されて来たが、現在では修行の厳しさに、御幣を切れる者も少ない。 また幣串についても、神具師に依頼して製作するが、神職《宮司》僧侶の資格を有する者以外には製作してくれません。 お金を出しても製作してくれ無いものがあるのは、この世界だけでは無いだろうか。 正に、物質的価値観が届かない世界である。
by kongousan-akafudo
| 2020-08-06 12:00
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