![]() ■感涙 私は今日、感動に涙しました。 以前から仏具師さんにお願いし、現在製作中の宇賀神様と聖天尊様の八角厨子の完成を前に、ある方から、二尊の厨子の製作費用に充てて下さいと多額の寄進を頂戴致しました。 其の方の事を書きたいのですが、ご迷惑をお掛けしてはいけないので伏せ置きます。 私は、有難さに涙しました。 実は、資金が困窮して居たのです。 誰にも言わず、老骨に鞭打ち働いて居りますが、中々、資金には到達出来ずに居た矢先の出来事。 有難さに、ただ涙です。 私は、確信します。 私の信仰は、正しかったと。 お金だけの事では、ありません。 何故ならば、私は資金が困窮して居る事を誰にも告げて居なかったのです。 私は幼い頃から貧しさを味わい、貧しい事は苦になりません。 しかし、老仏具師さんの温かい心に支えられて製作して頂いて居ります。 仏具師さんも金具にもこだわり、金具も彫金師に注文をして下さったので、必ずや素晴らしい八角厨子に成る事でしょう。 全ては、御仏のお計らいと感涙する毎日で御座います。 ■菩薩行 私は、東京で生まれ育った浅草の街が大好きで、浅草寺の境内は私も遊び場であった。 昭和三十年代は、未だ貧しさに溢れていた。 戦傷兵《傷痍軍人》が片足で街角に立ちハーモニカを吹き、僅かなお金を貰い、その日を生きていた。 浅草寺の境内には、乞食《ホームレス》が溢れて居りました。 その中でも、端に一人で静かに座って居る老婆が何故か気になりパンを買って老婆に声をかけパンを差し出しました。 老婆は、喜びましたが、食べません。子供だった私は、訳を聴きました、老婆は、ゆっくり話してくれました。 おばあちゃん周りには、誰も居ないよ、と言うと、息子とお父さんは、此処に居るよと言い、防空頭巾で作った袋を出して言いました。 その袋の中身は、息子さんとご主人の遺骨が入って居たのです。 おばあちゃんは、語りました。あの戦争は、地獄だった、多くの罪も無い人が虫ケラのように殺され 老婆の息子さんとご主人は、老婆の目の前で、焼夷弾の直撃を受け 息子さんをかばいお父さんも黒焦げに成り、果てました。 お婆さんは、言いました。自分で死ぬのは、簡単な事。 死んだ家族の分まで自分は、一緒に生きると。 どんなに恥ずかしくても、雨に濡れ、泥にまみれて道端で寝ても、何時も三人で居られる。 いつか観音さまが迎えに来てくれるまで、三人で生きて行くとあの日、決めたんだよと言う老婆の眼には、涙が溢れて居りました。 生きるとは、ある意味、過酷ですしかし、生きる事に意味があるのです。 この世に生まれ、滅せぬものは、ありません。 なれば滅するその日まで、精一杯に生きる事こそ、勤めであり、御役目だと私は、信じます。 ■尊厳 様々に尊厳について語られておりますが、本当の意味で尊厳を考える時、最近の考えかたは自己主張になっては、いないでしょうか? 自己の尊厳だけではなく、相手の尊厳を認め尊重する事によって自分の尊厳をも認められます。 自己主張に固執し、主張する時、其処には傲慢の意思が働き、見失うことになるのです。 自己主張の文化はアメリカ特有の思想であり、日本人の文化にはそぐいません。 日本には、素晴らしい思想文化《謙譲の美徳》があります。 まずは他を尊重し、相手を立てることによって自分も立つのが日本人の思想です。 ・・・ 島根県益田市久々茂町の国道191号で、集団登校で横断歩道を渡っていた市立豊川小学校の児童の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、ボランティアで通学を見守っていた近くの三原董充さん(73)が全身を強く打ち、翌日病院で死亡した。 三原さんは33年前、小学2年だった下校中の次女(当時7歳)を交通事故で亡くし、子どもたちの事故を防ぐため見守り活動を続けていた。 事故現場近くの女性は「車に気付いた三原さんが、男の子を突き飛ばしてかばったと聞いた。身をていして男の子を守ったようだ」と話した。 三原さんの長女摩弓さんは「二度と娘と同じ思いをしてほしくないと思い、ずっとボランティアを続けてきたのだろう」と話し、 悔しさをにじませた。 《毎日新聞2017.01.31記事》 ・・・ 先般、登校中の子供達を護って自らが犠牲になり亡くなられた方がいらしゃいます。 正に尊厳を最後まで護り抜いた英雄であり、菩薩行であります。 この方の様な人が、正に日本人の鏡として賞賛されるべきです。 私はこの英雄の死に敬意を払い、御冥福をお祈り申し上げております。 願わくば、英雄の遺された行為を後世に伝え、自らを犠牲にして他を護り、救う事が日本人の美徳と解釈する人々が増える事を望みます。 ■意見と學び 私は、四十三年前に両親と死別しました。 20歳の時でした。 今、想うに《親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄は無い》人を想い、発する言葉には、どんな厳しい言葉で有っても愛があります。 その逆に、愛の無い言葉には、《誹謗、中傷、妬み、嫉み、憎悪、》物資的価値観を裏付けする利己主義が存在するのである。 時として、言葉は人《他人》を育て成長を促し、激励します。 しかし現代は、揚げ足をとる事がまるで文化の様に成っています。 失言を責める依りも、改めさせる親の愛、《殺す依り、活かす》 正に、愛が無ければ出来無い事である《菩薩行》。 私達の親は、正に菩薩行を教えてくれた恩人であります。 今、私達に与えられた課題は、育てる事である。 育てずに成長は、無い。 私も含めて、人間は、未熟な存在である。 しかし未熟だからこそ、生まれてこられたのです。 全てを達観し、答えを出せる人間なら、生まれて来る必要も無い(解脱)のである。 人は、學びを受け入れる時、其処には、あなただけの愛が存在するのま事実であります。 個性も學び、同じ人生など無い事を知る時、本当の自分が理解出来るのである。 当院は、そんな貴方を待っています。
by kongousan-akafudo
| 2020-01-31 12:00
| └私たちの暮らし
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