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雙身毘沙門天尊に関する密教ブログ

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本日は、秘仏の中の秘仏と言われる、雙身毘沙門天尊《双身毘沙門天尊》に関する記事を特集致します。
密教を學ぶ者にとって、「知らない」「分からないから」調べない、知ろうとしない…のは恥ずべき事。
最も、秘仏についてはインターネットで検索をかけても、書籍をあたっても真相にはなかなか迫ることは出来ません。

血のにじむような長年の努力の末に、経典を集めて解読された阿闍梨である師僧の言葉から學んで頂きたいと存じます。

どうぞご覧ください。


雙身毘沙門天法

《ソウシンビシャモンテン》法は、一般には知られて居ないが本流は、傳法院流、勸修寺流に相傳が実在して居ります。

尊像は、合掌し輪を持つ仏が吉祥天、独鈷を持つ仏が毘沙門天と成すのが雙身毘沙門天であります。

浴油法、浴酒法を持って修法を実践します。
また、別法も存在しますが、此処では伏せ置きます。

現在では、修する方《僧侶》も少ないですが、素晴らしい秘法なので、
密教を學ぶ方には、學んで頂きたいと常々望む次第であります。

当院では、この度、浴油、浴酒法に耐え得る尊像を製作して居ります。
皆様の修行の手助けに成る様、精魂傾け製作に臨みました。

雙身毘沙門天尊

秘仏の中の秘仏と言われる、雙身毘沙門天尊《双身毘沙門天尊》尊格は、天部だがその効験は、凄まじい。

双身仏は、まだ他にもおわせられるが、台座に固定されず自走自在。
これは、当院の雙身毘沙門天尊像以外は、ある有名寺院の秘仏の他に知らない。

何故か?
鋳造の難しさと、正しい伝承がされていないのが現状だからである。
対外的に言われている秘仏への知識は、ほとんどが迷信である。

では、何故そんな迷信がまことしやかに語られているのか?
其れは一言で言えば、無知蒙昧に過ぎない不思議ちゃんの観点である。

事実を知る事は、科学する事と同じである。
雙身毘沙門天法の真実は、お大師様の説かれた経典を見れば明らかである。

これを知らずに秘仏を取り沙汰し迷信を振り回す行為は、正に不思議ちゃんであり無知蒙昧と言わざるを得ない。
では、雙身毘沙門天法は現存するのか?
現存して居ります。 真摯に學び、経典を科学し探求する時、必ずやあなたも眼にする事が出来ます。

要は真摯に學び、科学する知識の有無にあるのです。

雙身毘沙門天

私が雙身毘沙門天尊と初めてお会いしたのは、修行僧の頃でした。

その時の印象は、何と威圧感がほとばしる尊像で在ろうか、驚きを禁じ得無い心持ちでした。
あれから数十年、今は、毎日、お側で礼拝して居る自分の御縁に感謝して居ります。

以下は、私の体験談であります。

今から二十数年前、私の友人は、不治の病と戦っていた。
友人には妻子が居り《奥さんは、孤児院で育ち身寄りが無い》彼は、私に言った、自分は、このまま死ぬわけには、行かない、自分が死ねば、妻子は、路頭に迷う、何としても生きて《せめて子供が小学生になるまでは、働きたい》

私は、途方に暮れた、しかし私に出来る事は、無い。
私は、寺に帰り、師僧に相談をした。

師僧は、汝が己が命をかけても救いたいと願うのであれば、雙身毘沙門天尊に願意を立て行うが良い。
私は、精進潔斎して、雙身毘沙門天法に挑んだ。
そして一座、一座に渾身の力を込めた。

そして、数日が過ぎたある日、友人は、日本でも有数な名医の手術を受けられることに成ったのである。

手術の結果は、大成功である。
彼は、今も元気で妻子と仲むっまじく暮して居る。
雙身毘沙門天尊は、《必勝の仏》今も、苦しむ人々の願いの中におわせます。

双身毘沙門天

一般には、ほとんど知られていないのが双身毘沙門天尊像である。

何故か? 一度修すれば、その効験の凄まじさに、他に知られては困ると考えられたのです。
そして、双身毘沙門天法の経典も知る者も少ない経典である。

弘法大師空海が経典として遺されて居りますが、
真髄と言われる経典は、伝燈大阿闍梨でも一部の大阿闍梨しか知らない大法である。

当院では、現在、双身毘沙門天尊像を古式に則り復元製作中であります。

あるオークションでは、銅製の双身毘沙門天像が四十万円で売買されて居りましたが
その尊像には致命的な欠陥が有りました。《足が埋もれた作りの粗悪品》

当院で製作中の双身毘沙門天尊像は、四本足で独立したお姿で製作して居ります。

四本足で独立したお姿を製作するには、並大抵の技術力では不可能と考えます。
当院では、広く皆様にお分けする事に依り、密教の興隆に繋がれば幸いと考えて居ります。

密教を學ぶ方々や美術的観点からお求めに成る方々にも、お授け申し上げます。
本物の経典も、順次、お授けする予定であります。

秘仏の秘密

秘仏と言われる仏像には、様々な秘密が存在する事を知る者は、少ない。

例えば、双身毘沙門天像は動く仏像であり、動きが取れない様な作像のものは偽物と判断せざるを得ない。
そして、持ち物にも秘密が存在する。
なんでも、持っていれば良いと云うものでは無い。

其処には、密教の教義に沿ったもので無くては意味が無いのです。

昨今、巷では密教ブームの様であり、秘仏の偽物が横行している。
秘仏は、普通の方々が中々観る事が出来無いので、知る事も難解であるが故に偽物も横行するので有ろうが、例え古い物でも偽物は存在します。

古いから本物と思われがちですが、逆に古い物の方が偽物が多いのも事実である。
秘仏には、深い信仰と意味がある事を踏まえて、入手される事をお勧めします。

当院では、様々な秘仏の復元を現在進めており、様々な経典、資料、秘仏の拝観に、多方面の先生方に御尽力を賜わり、研究を重ねております。
此処では、明かす事は出来ませんが、秘仏には様々な秘密が存在します。

研究するには、かなりの困難が予想されます。

しかし、困難だからこそ意義深いものと私は解釈している。

念波、念力

密教の加持祈祷は、念波、念力に依るところが大である。

私が知る老師、大徳は、御歳九十を数えてもいささかにも氣力の衰えを見せません。
毘沙門天護摩を修する〇〇大徳は、正に達人でおわせます。

御歳九十を数えるも、尚、素晴らしい御護摩を修されておられます。
また、尼僧である大徳は、凄まじい気魄と法力で様々な秘法を修されておられます。
尼僧で、世にも出ずひたすら法に励み、精進潔斎する僧侶を視る時、私は、私の持つ法を全て伝授しても良いと考えます。

まだまだ、僧侶の世界は男性社会。
なまじの事では、大徳とあがめられる事は難しい社会なのです。

しかし、念波、念力に掛けては、男女の区別は存在しません。
僧侶の位は、念波、念力には関係ありません。
より強い念波、念力があればこそ、加持祈祷を成就に導くことが出来るのです。

口先だけの事は所詮、児戯に等しいのである。
成就に導いてこそ、密教の加持祈祷です。


私の寺は、男女の区別なく教え鍛えます。
但し、弱音を吐くこと、怠惰を許しません。

私には、過去に直弟子が数名おりますが、今は皆、密教僧の本分を護り全国におります。
一兆事あらば、身を捨て《命》事にあたる、精鋭であります。

男女の力の差など、知れたものである。
必要なのは、覚悟と、弛まない修行であります。
最早、男女の境は無い。と、私は考えております。

縁結法

当院で最も多い祈祷が縁結び祈祷である。
それには訳があります。

古来より、双身仏は縁結びの神として有名であり、参拝者が途絶えません。
代表的なのが聖天尊、双身毘沙門天尊、両頭愛染明王尊である。

全て、当院の秘仏である。
双身仏は、他の仏では叶えられ無い願いを聞いてくださる最後の仏として、古来より信仰を集めて参りました。

現在でも聖天信仰は有名ですが、勝るとも劣らない強力な効験を現されるのが、

双身毘沙門天尊、両頭愛染明王尊である。


知る人ぞ知る密教の秘仏である。
その効験は、叶えられ無い事は無いと言われる仏尊である。

密教は、全ての方がしあわせを実感し、この身このまま仏の境涯に至る事をお手伝いするのが大事である、と説かれております。

正に、成仏とは仏に成る、生きたまま仏の境涯を実感する事なのである。

しあわせを知らずに、人を愛する事は出来ません。

他を愛し、愛されて初めて愛を知るように、自分がしあわせを知らずに、優しくはなれないのです。

自分はしあわせを知らないと思う方は、この機会に是非密教を學ばれては如何でしょうか。
嫌ならやめれば良いのです。

嫌も好きも、味わわなければ判断は出来ません。
本当のしあわせを味わうには、あなたが一歩を踏み出さ無ければ始まらないのです。

眷属神

今日は、当院の御本尊赤不動明王尊様の御眷属様についてお話しさせて頂きます。

普通に知られている不動明王尊様の御眷属様は、三十六童子が有名です。
三十六童子のお一方でも、一千万の従者を従えて居られる頭領が不動明王尊様で御座います。

その他には、《順不同》帝釈天閻魔天、伊舎那天、火天、地天、風天、水天、毘沙門天、羅刹天、梵天、日天、月天、稲荷、龍神、まだ続きます。
赤不動明王尊様には、その上にまだ、秘密神が御眷属様として連ねて居られます。

特筆すべきは、毘沙門天はもともと夜叉の王で御座います。
羅刹天は悪鬼の王。
閻魔天は地獄の王。
伊舎那天は破壊神で忿怒身で御座います。
以上の御眷属様でも、恐ろしい力が御座います。

人間がどうこう出来る様な方々では御座いません。

御眷属様を動かせるのは、頭領である不動明王尊様だけなのです。
私は四十年以上、行者として道具として御本尊赤不動明王尊様にお仕えしておりますが、自分では何も出来ません。

全て、御本尊赤不動明王尊様のお計らいで生かさせて頂いております。

御仏を尊び、御先祖様を敬い、毎日を感謝して生きる時、自然に身に着くのが信仰心なのです。
敬い尊ぶ心を欠く時、其処に残るのは傲慢の一文字。
己れの分をわきまえ、御仏にお仕えする事は、私にとって最高の喜びなのです。




by kongousan-akafudo | 2020-10-18 12:00 | ├密教の諸尊について
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