![]() 因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。 何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。 それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか? そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか? どうぞご覧ください。 ■開運祈願 開運は、皆さんの望まれる事と思います。 しかし、本当の意味で、開運を成し遂げるには、まず、自身のルーツを知り、過去、現在を正し、未来に繋げる努力が必要であるのです。 では、ルーツとは何か? 霊的な意味で言えば、自身を霊的観点に置き変え考える時、気づくはずである。 今のあなたが生まれる以前の前世が過去世であり、前世で起きた、起こした事が、カルマであり、因縁なのである。 その因縁を俯瞰し、改めなければ、真の開運には、繋がりません。 今のあなたが生まれるまでには、千人を超える先祖が存在します。《数学的にも明らかです》 私は、分家だから。私は、弟、妹だから関係無い。とか、無神論者だから関係ない。は、開運にも関係無いのである。 私の持論は、嫌なら、信じる必要もない。 嫌なら、拝む必要もない。 嫌なら、眼を背ければ良い。 神社仏閣を穢し、破壊すれば、その後の人生は、悲惨を極めるのである。 嫌なら、見ざる言わざる聞かざる三猿主義で良い。 他人を誹謗中傷する行為も、上記と同じ結果に成る事は、言うまでも無い。 本当の開運を望むのであれば、尊ぶ心、敬う心を養い、理性的に生きる事である。 自分さえ良ければ、自分の周りさえ良ければ、それらは、餓鬼と同じ階層の亡者に等しい。 本当の意味での開運は、神仏を尊び、先祖を敬う時、カルマは消滅し、新たな道が開けるのである。 いとも簡単な道であり、正にシンプルなのが、開運法である。 銭、金に振り回され、右往左往する様子は、餓鬼の始まりと言えよう。 人間に生まれた尊厳を誇りと捉え、自身に恥じない生き方こそ、開運ではないだろうか。 ■私達は霊的存在 毎日、考えられない事件、事故が発生する。 何故か?皆、死んだら終わり…と考えているからなのです。 先日の新幹線内での事件…全くもって、自分勝手で傲慢な犯行としか、言えない。 様々な人を巻き込み、自分は自爆する…自爆テロと変わりません。 その根底にあるのは、人間死んだら終わりという無知な思想の現れです。 どんな偉い人でも、一般人でも、死に逃げは出来ません。 必ず自分が犯した罪は、カルマ、因縁になり、自分に返ります。 カルマ、因縁とは…自分が犯した罪を反省、完全理解を果たすまで、未来永劫に渡り続きます。 これほど恐ろしい事はありません。 自分で犯した罪を反省する事は出来ますが、完全理解となると、簡単には出来ません。 何故か?答えを教えてくれません。 答えは、何世掛かろうと、自分で見つけなくてはならないのです。 答えを見いだすまで、未来永劫、同じ科目を履修するのである。これがカルマの法則です。 全てに、例外はありません。 ですから私がよく皆さんに申し上げる言葉に、究極の自己責任、蒔いた種は自分で苅る、責任主体、これが霊界の法則です。 この法則から逃れる事は、誰にも出来ません‼️ 例え、御仏に仕える身であろうと逃れる事は、出来ません。 全ての法則は、平等に働きます。 現界でいかなる立場であろうと関係ありません。 全ては、大霊の愛なのです。 理解し自分の中に、落とし込む時、答えが見えて来ます。 大霊は、慈悲そのものなのだから。 ■自分の人生 これ程、自由な事はありません。 全てが責任主体なのですから、大人になっても歳老いた親に、迷惑を掛けても自分勝手に、好き勝手に生きても自己責任。 全ては、プラス、マイナス、ゼロになります。 では、怠けたままで人生が終われるか? そんな事は、ありません! 必ず、怠けた分、頑張った分8怠けた分2、頑張らなかった人は3足りない事になります。 残りの3を、頑張り通さなければならないのです。 休みなく、だから人生は責任主体であり、自己責任なのです。 ですから怠けたい方は、どうぞお楽になさって下さい。 ギャンブルでご家族を泣かしたい方、どうぞギャンブルを楽しんでお続け下さい。 犯罪を犯し、反省しない方、どうぞそのままで構いません。 ばちは、当たりません。 ばちなど、ありません。 あるのは、法則です。 蒔いた種は、自分が最後迄狩り切るまで続きます。 蒔かぬ種は生えぬです。 これがカルマ、因縁の法則です。 ■偶然と必然 皆さんも、経験が、お有りになる事だと思いますが、偶然にしては、驚く様な事を様々経験された事と思います。 例えば、男女の出会いですが、貴方は、偶然だと思いますか? 素敵で、可愛い人が、何であんなおやじを、好きになったのか?不思議に思いませんか? 実は、前世からの、縁。 すなわち、因縁なのです。 前世でお互いに好きでも、一緒になれなかったケースが、多いですね~。 この場合は、凄いスピードで、お互いに接近します! 結ばれるのも、早く、相思相愛になり、まるで、失われた時を取り戻すが如く、燃焼します。 魂は、決して忘れることはありません。 過去の因縁を清算する事は、魂の向上には、不可欠な事なのです。 偶然の様な出会いでも、本当は全て、必然なのです。 些細な事でも、偶然は、存在しません。 例えば、道ですれ違う人も、必然と言えます。 この法則を避けて行く事は、何人たりとも出来ません。 法華経に曰く、全ては原因と結果であると。 ■蒔かぬ種は生えぬ しあわせを論ずる前に考えねばならない事があります。 まず、棚から牡丹餅は、無いのは、自明の理である。 また幾ら努力しても報われないと思う方は、貯金で言えば、徳の定期預金とお考えください。 定期預金は、満期になれば下ろせるのである。 また、利息も多いのです。 人生の預金は、様々です。 悲観など必要無いのです。 必要なのは、明るく爽やかに生きる事であり、徳の預金を積む努力である。 悪を重ね、得た財産は、幻であり因縁を重ねるコレステロールの様なものである。 善も悪も、蒔かぬ種は生えぬ。 重ねれば、重ねるほど、最後の結果は、己れに帰ります。 正に、善因善果、悪因悪果である。 今は、結果が現れ無いだけなのです。 私は何をやってもダメと諦めずに、今は徳を積む時と俯瞰し、努力すべきと考えます。 御仏は、スーパーコンピュータの数億倍以上の正確さで、私達を見守って下さっています。 簡単に諦めては、いけない事を、我々が実感しなくては、ならないのです。 重ね重ね、申します。 人生に、蒔かぬ種は生えぬと。 ■追憶 私にも、皆さんと同じように様々な過去があります。 では、何故過去があるのか? 答えは、一生懸命に生きて居るからなのです。 例えば、過去に捉われて生きる時、あなたも私も、生きて居る事が苦痛なって来ます。 何故か? 良い時だけを見つめる時、今の状況に、不満と過去への憐憫が生ずるからである。 人間に生まれてカルマ《因縁》の無い人は、唯の一人も居ません。 何故か。 カルマもなく、悟りと覚醒に満ちた人であれば、生まれる必要も無いのである。 この世は、檻の無い動物園だからである。 良い人も悪人も、全て同じ檻の中に居るのである。 これを否定出来る人が居るのなら、教えて頂きたい。 但し、いい加減な事は許しません。 過去にこんな話がある。 男は肉親の縁薄く、若い時に両親と死別。 日本各地を放浪するが、やっと美しい妻と結ばれ、しあわせの絶頂にあった。 男は一生懸命に働いた。 妻と子供に囲まれ、このしあわせが未来永劫に続くと信じて働いた。 だが、魔の時が突然襲い掛かって来た。 それは、妻と子供の死である。 男は絶望した。 何故自分なのか? 何故こんな目に会わねばならないのか。 考えても答えは出て来ない。 毎日が地獄だった! 妻との日々を追憶する時、男は居ても立っても居られ無い苦痛にのたうち、精神が崩壊して仕舞うかと思ったほどである。 その時、男は考えた。 どんな事にも、答えは存在すると。 しかし、容易には答えを見い出す事は出来無い。 妻との思い出の部屋は埃にまみれ、あの頃の面影は無い。 男の心は荒み、涙に暮れた。 しかし、男の心を支えたのは幼い頃から続けて来た武術であった。 男は、生きるとは何かを題材に選び、文武両道を胸に學んだ《一心不乱に》 そして、紆余曲折の後に教えられたのが、妻と子供からのメッセージだった。 人は生を生き、死を受け入れる時、真の學びに目覚める。 今、苦しみの中に居る人は、絶望してはいけない。 學びの中に居る事を知るべき、と私は考えます。 ■呪いの末路 私は、長年祈祷専門僧として活動を続けて居るが、どうしても救え無い案件がある。 それは、呪いの因縁《カルマ》である。 これだけは、完全に切る事は難しい。 何故ならば、始まりが一方的な怨みの念だからである。 そもそも、他人を怨むと言う事が因縁に繋がるのである。 世の中には極悪人も存在します。 しかし、呪いに依り解決しようとしても、堂々巡りだと知るべきである! そんな事は早く忘れ《放念》、新しい人生を歩む事がしあわせの第一歩に繋がるのです。 今回は、稚拙な事は書きません。 私が扱った事例を紹介します《以下事例》 あれは、今から10年前。 ある方が、娘さんの事で相談に来られました。 優しかった娘さんが、三ヵ月前から急に豹変したのです。 まず、菜食主義だった娘さんが肉魚を生で食べ、いきなり攻撃的に成り、部屋はゴミだらけ。 悪臭が漂う中で平然としている! それに、神社仏閣を嫌って唾を吐き、夜中には奇声を上げる。 とても正常では無い。 心療内科の受診をしたが、何の効果も無いと言う。 私には解って居た。 完全な憑依である。 これを抜くには、並大抵な事では無理である。 何故か。 本人の命が保たないのである! 過去に様々な祈祷僧が挑み、失敗し、自らは裁判、拘留の憂き目に遭った記録を参照すれば明らかである。 私は、お母さんとお父さんの気持ちに打たれました。 娘を助けたい一心で頼む父母の心。 私は、急ぎ準備に取り掛かりました。 各分野の専門家《弟子、友人》の尽力に依り、全てが揃いました。 そして、本人、御家族の前で行いました。 因縁解脱法。 私も命掛けである。 負ければ、私も連れて行かれます。 加持祈祷は長時間に及びました。 しかし、最後に御本尊様の御力に依り降伏出来ました。 些細な怨みの代償にしては、割りに合わないと思いませんか? その後、娘さんは回復して、現在は私の弟子である。
by kongousan-akafudo
| 2020-05-30 12:00
| ├密教の世界
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