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因縁(カルマ)に関する密教ブログ③

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

カルマ《因縁》①

言葉は普通に誰でも発しますが、悪意や騙す為に発する言葉は全てそのまま自身に返って来る事を皆さんはご存知ですか?

因縁を回避する事は出来ません。
必ず倍加され戻って来ます。

但し因縁解脱する道は、残されております。
《悪用、模倣を避ける為》此処では書きません。

悪意の言葉は《言魂》に成って相手を傷つけ、やがて自分に返って来ます。
それも、耐えられない苦痛と成り戻って来ます。

その時は後悔しても遅いのです。

悪意のある言葉は、口から毒を吐いているのと同じです。
吐いた毒が自分に廻って来る事は知らない人が多い。

現在、至る所で言葉の暴力を振るい、他の人を苦しめて居る現状を皆さんもご存知のはずです。
そんな人達が多いのは、しあわせを知らないからである。
しあわせを知らないから、悪意の言葉も平気で発する事が出来るのである。

しあわせな人は意地悪しない。
他に優しい人はしあわせを知って居る優しい人だから。

その逆に、意地悪な人は常に怯えているから他を威嚇し、小さな自分を見られたくない哀れな人達なのです。

そして、最後は自分が積み上げたカルマによって、嫌でも反省の日々が待って居るのだから。

カルマ《因縁》②

犯罪者の因縁は、尋常では消滅しない。

現行の日本では、理解、解明をしようと云う動きは少ない。
だから異常な犯罪《事件、事故》が増加して居るとも言えよう。
正に物質的価値観の浸透である。

物質的価値観は、物を欲しがる、物に傾倒するのでは無い。
心と意識を指すのが物質的価値観である。

例えば、命を軽んじるのも物質的価値観の影響である。
「死ねば終わり」など典型的な例であり、解って居ない証拠と言えよう。

特に犯罪者には分からない論理である。

過去に小学校に押し入って子供達を傷つけ殺害した犯人がいた。
犯人はが一貫して死刑を望んだ事実は有名だが、犯人は大変な誤算をして居る。
死刑に成っても、終わりでは無い事を知らない物質的価値観の人間である。

また昨今では、9人を殺した犯人など典型的な例である。
死ねば許される、死ねば終わり、肉体が無くなれば全てが無くなる、と云う考え方も物質的価値観なのである。

人間は考え方を誤れば、その後の人生を大きく左右させてしまう生き物である。
今、一番大事なのは、理性で考え、知恵《智慧》を養う事である。

本気で身につけた理性や智慧はも何人たりとも奪うことは出来ません。

そしてあなたの宝となるのです。

理性、智慧は、この世の経験を感動に開花させる原動力に繋がります。

學ぶも學ばざるも自由なのが人間界である。


パワースポット

昨今、パワースポットがブームですが、ブームの影にある弊害が発生して居ることを、皆さんはご存知でしょうか?

私の寺には様々な相談が寄せられますが、意外に知られて居無いのが、パワースポットに安易に行き、様々な被害にあって居る方々が急増して居るのです。
パワースポットは確かに存在しますが、カタカナでは優しく柔らかな印象を受けますが、本当は力のある場所にはいわく因縁がある事も事実なのです。

例えば、有名な神社仏閣は、何故其処に建立されて居るかご存知ですか?
ほとんどが、祟りを鎮める為に其処にその場所に建てられたのです。
また、自然のパワースポットは、その場所のエネルギーが強いのは何故か?
考え、調べた事が皆さんはありますか?

敢えて言いませんが、安易に行くことは危険ゾーンに自ら飛び込むのと変わり無い事を、知っておく事が肝要です。
そして、安易に頼り、立ち入ることが如何に危険か、自身で故事来歴を調べれば解ります。

今は、便利な時代です。
携帯電話で調べる事も簡単に出来ます。

御参りの仕方は、安直な本を読めば解りますが、安直な本には、御参りに関する精神までは明記されて居無いのが現状です。

作法は大切ですが、精神の裏付けの無い作法は空法であり、弊害は生んでも益は生みません。

私の理論を、古臭いキチガイ爺いの戯言とお考えの方は、是非ご自身の判断と理論で進まれることをお勧めします。

帰って来た仏像

数十年前にこんな事件があった。


ある寺から仏像が盗まれ、十年後に寺に帰って来たと云う事件である。

この事件には、後日談があります。

その後日談とは、ある古物商から仏像を買った家で起きた怪現象である。


その家の主人は、通りすがりの骨董店で仏像を買い、家の仏壇に安置しました。

良い物が安く買えたと喜んでおりましたが、怪異はその時から始まりました。


最初の年に仏像を買ったご主人が急死、次に長男が急死。

次々と家人が亡くなり、最後に残ったのが信仰心の厚いおばあちゃんだけでした。


一人に成ったおばあちゃんは、全てを処分して養老院に入る決心をしましたが

心に掛かるのが仏像である。


おばあちゃんは、お寺に行き相談しました。

そして話はまとまり仏像を寺に安置して貰う為に、仏像を寺に持って行き包みを解いた時、住職が声を上げました。


この仏像は、十年前に盗まれた寺の本尊仏だったのです。

警察も来て調べましたが確かに寺の仏像である。


このニュースは、当時、新聞にも載りましたが、何か釈然としない思いが残ります。



私は助言します。

出処がわからない仏像を買うのは、やめた方が良い。


新しい物は高額ですが、欲しければこつこつとお金を貯めて買えば良いのです。

古物には因縁が付き易く、素人の方にはお勧め出来ません。

どうしても古物が好きな場合は、力のあるお寺にお願いをして撥遺してから開眼をして貰う事をお勧めします。


お試しの時

人生には、様々な事象が起きるが怖れては、いけない。

様々な事象は魂を成長させる《人間力》向上の試練である。

人生には理不尽な事が起こります。
ただそれを理不尽とだけ捉える時それは、ただの苦痛でしか無い。
そんな時に、人は悲劇の主人公に自身を置いてしまいがちであるが、それはやめたほうが良い。

悲劇の主人公になっても何の解決にも成らず、その逆に悲劇を増大させてしまう。
そして、よけい悩みの淵に自らを追い込む事に成るのです。

私は、還暦を過ぎました。
自身の半生を振り返り思う事は、御仏の御縁があったればこそ、今の自分があるということ。
あの時、あの瞬間に私の中に信仰心が無かったら、私は現界には存在して居ない。

因縁も縁、吾れ事において後悔せず《宮本武蔵の五輪書の一節》。

傷を舐め、傷を舐め合う時、悲劇の主人公は、耐えられず自爆のスィッチを押してしまう場合があります。
悲劇の主人公に成ってはいけない。
そんな時は、何時も以上に理性的に自身の思考回路を制御する努力を怠らない事が肝要です。

次の方法も有効的です。
直面した問題点を、箇条書きにする。
そして、優先順位を決めて、一づつ解決の糸口を探し実行する事が大切である。

密教は科学

密教は、科学である。

計算し尽くされた心霊科学と私は、捉えて居る。
ただ現在の科学では、捉えきれて居ないだけである。

科学にも法則がある様に、密教は科学が成立する前から、法則を解き明かして居るのである。

全ての事象には、因縁があり起きる事象にも因縁があります。
因、縁、果、全て法則なのです。

例えば、川は高きから低きに流れ海に注ぎ込む、此処にも法則があります。
山の中の水が川に成りますが、山がなければ川は、存在しません。
山の地中にある、栄養素が川に溶け栄養素を蓄えた水が海に流れ込み海となります。
そして海の動植物が生まれ育ちます、

此れも全て法則なのです。
誰も真相を知ろうとし無いから、密教は、科学されません。

私は、密教の発展の為と皆さんのしあわせを考える時、一日も早く科学で解き明かして頂きたいと切望して居ります。

御大師様は、優秀な科学者であった事は、歴史的事実であります。
知らない人は、《興味が無い、宗教に科学はいらないと考える不思議ちゃんだと考えます》
科学は、未だ到達を知らず、解ら無い事だらけが、現在の科学である。

真摯に學び。何故、何を解明しようとする時、扉は開き、このまま解明もせず、精神論のみに費やせば、衰退しやがてとも倒れに成り兼ねません。
御大師様が残された密教は、人を導き、このみこのまま幸福へといざなう教えなのです。
私は、生ある限り、密教塾にて密教の教えと実践法を説いて参ります。


土地の因縁

土地には、様々な因縁が存在します。
これは、ごく身近に起こり得る事であるのです。

『 私は、大丈夫 』的な事は、通用しない実例である。

A氏は、所有するマンションを売却し、新たなマンションを購入した事から、不可解な出来事に悩む事になりました。
それは、A氏が新しいマンションに入居した日から起こりました。

誰も居ない台所から鍋が落下。
その音に驚いた奥さんが台所に行って見たが、何も無い!

その後、連続して、毎日同じ時刻に音がするのである。
また、台所以外の場所でも、様々な不可思議な事が頻発しました。

最後には、夫婦の寝室にもそれは起こった。《人影》
たまりかねたA氏が寺や霊能者に依頼して祈祷をして貰ったが、その現象は止む事は無いばかりか、益々激しさを増したのです。

たまりかねたA氏は、友人を介し、私の寺に相談に来られました。
私は事情を聴き、A氏のマンションに行く事にしました。

数日後、A氏が迎えに来られ、私はマンションに向かいました。
マンションに到着した瞬間、強い波動を感じました。

しかし、敢えてA氏には告げて居無い。
A氏所有の〇〇号室に入って霊査するも、予想通りだった。
戦争の犠牲者を荼毘に付した土地だったのである。
《荼毘とは、火葬する事》

しかし、戦争の混乱の中での荼毘は、《火葬》とは、呼べないほど惨い扱いであり《人間の焚き火》供養などとは程遠いありさまである。

何度も何度も同じ場所で、遺骨を拾うこともせずに、繰り返し続けられたのです。
そして、終戦、混乱。

人々は、自身が食べ生きる事に必死でした。
何時の日か、全ての事実は消えて行ったのである。

戦後七十年が経ち、現在、その事実を知る者は居無い。
荼毘の現実は知っている人も居るが、土地の場所まで克明に覚えて居る人は居無いのである。

その他にも、斬首場、腑分け場、晒し首場、刑場跡を、知る者は居無い?
しかし、確実に言えることは、その土地が存在する事実は曲げられ無いのである。

A氏に、私は言った。
『 一日も早く、このマンションから出なさい。』

そして、この問題はA氏だけでは収まらなかった。
同じマンションの住人にも、起こって居たのです。

マンションは敷地面積も広く、土地の履歴を調べる事が困難です。
そのうえ営利目的の為に、徹底したコスト削減から、ほとんど地鎮祭や浄化祈祷は行われ無いのが現状です。

そして購入者も、利便性と集合住宅である事から、あまり土地については関心が無い様です。

A氏のマンションで起こった霊事では、現在住人のほとんどが退去して居る。
そして、売却したくても、買い手が見つからずに困っております。

しかし、この物件を浄化して因縁霊を成仏させるには、大変な人数の法力僧が必要なのです。
私ひとりの力ではどうしようも無いのが現状である。

では何故、そこまで悪化したか?
まだ更地なら、打つ手は合ったのです。
しかし、建物は集合体。

一部屋一部屋を、同時に祈祷浄化する事は不可能である。

皆さんも、考えて頂きたい。

説得する相手が複数人居て、聞き分けの良い人もいれば、言う事を聞かない人も居る。
中には、凶悪の者も居る。
そんな状況の中で、一人や二人の説得者《法力僧》が法を修しても、効果は望めません。


また、数がいれば良いと言う事ではありません。
本当に力のある法力僧を探すだけでも、至難の技なのです。

それだけ、現在の状況は物質的価値観が蔓延し、本物の法力僧が少なくなってしまったのです。
本山と言われる所では、勢力図と他を認めない風潮があり、在家から出家しても夢破れ去る人が後を絶ちません。

また、昔のように修行に命を懸け、挑むことも無く成りました。
地鎮祭は大切な礼法であり、軽視すれば、結果は上記のように悲惨な状況になるケースが少なくありません。

意識と法則

人は、様々な意識を抱え生きていますが、意識が自身のしあわせを遠ざけて居るとしたら、あなたならどうしますか?

意識とは、想い癖に依り左右される事が多くあります。
癖も同じ意識から発しています、

悪い癖なら意識して直す。意識を左右するのは、理性である。

理性を身に付ける早道は、學びである。
理性も學びも放棄した状態では、しあわせは、遠ざかるだけでは無く、悪い因縁をも引き寄せて居るのです。

街を歩いていますと、未浄化霊を付けて居る方を多く見かける様に成りました。
では、何故、未浄化霊に憑依されるのか?

波長である。低い波長を出しながら、生きていれば当然、波長の低いものが群がります。
意識の中に理性と正しい信仰心を心がけて學ぶ時、知らず知らずに波長は、上昇して居るのである。

by kongousan-akafudo | 2020-05-25 12:00 | ├密教の世界
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